とっくに恋だった―壁越しの片想い―
Tシャツに薄いパーカー、ショートパンツという部屋着に着替えてから向かった平沢さんの部屋。
玄関を開けるなり、ふわっと香りを感じた。
わずかに顔をしかめた私に気付いたのか、平沢さんがキッチンから「どうした?」と声をかけてくる。
「ああ、いえ……たいしたことじゃないです。ただ、彼女さんの香水の残り香がまだあるなぁって思っただけで」
「は? 彼女?」
「彼女さんでしょ? 私が帰る少し前に階段のところですれ違いましたけど。黒髪のゆるふわボブの方」
そう説明しながら部屋にあがると、平沢さんは「あー……見てたのか」と困ったような笑みを浮かべた。
手元では、ホワイトソースをかき混ぜながら。
「いや、彼女とかじゃなくて、ただの友達……んー、っていうか、知り合いの方がしっくりくるかなぁ」
「でも、部屋にくるの今日が初めてじゃないですよね? 前もすれ違いましたし」
「あー……うん、まぁ。仕事関係で知り合った人だから、仕事の話とかもあってさ。
あの人、この間まで関わってたデカイ取引先の人なんだけど、色んなトラブル乗り越えてきたみたいで話してると面白いんだよ。
勉強になるっていうか、そんな感じ」
「へぇ」と相槌をうちながら、キッチンに行き、野菜室から玉ねぎを取り出す。
それから、平沢さんの隣に並び、準備してあるまな板の上に置いた。
シンク下の棚から包丁を取り出して、玉ねぎの頭をザックリと切る。
平沢さんはコンロの上でホワイトソースを混ぜながら「手、気を付けて」と視線を私の手元に向けた。