バナナの実 【近未来 ハード SF】
カウンター席には、空席がないように見えた時、人の列から前かがみになりこちらを覗く女性と目が合う。
ニアンだった。
一瞬、辻と目が合うが、また何も無かったようにスローモーションな動きで背を元に戻す。
真治さんが言っていたのは、本当だったんだぁ・・・。
彼女の表情には、見習い職人の手掛けた能面のようにまるで生気がなく、ひどく落ち込んでいるように見えた。
話しがしたいという気持ちがある一方、また彼女の機嫌(きげん)を害することを恐れた辻は、結果として彼女を無視することになってしまう。
辻は、一階のビリヤード台で、ヤスと店の女性を混ぜたチームを組んで対戦していたが、意識はもっぱらニアンにあって、ゲームどころではない。
時々、テーブルを挟んだ正面から彼女に視線を移したが、目が合うことはなかった。
ずっと下を向き焦点(しょうてん)が合っていない能面は、どこか悲しげであるようにも映った。
何を考えているのだろう?
そんなことだけが彼の意識を支配していた。
一時間半ほどバーで過したが、結局、彼女に話しかけることができず、辻はヤスに挨拶して帰宅した。
部屋に入りベッドに倒れると、携帯電話の文句が狭い部屋に鳴り響く。
液晶には、“ニアン”の文字。
本当は、話したいはずなのに、何をどう話してよいか言葉が見つからず、自(みずか)らコールを消す。
しかし、またすぐに彼女からの催促(さいそく)が鳴った。
辻は、さっき話しかけられなかった罪悪感から携帯の電源を切ったのだった。