バナナの実 【近未来 ハード SF】
マニーに対して恋愛感情を抱いていない辻であったが、翌日もニアンとの約束を破りマニーとカジノで密会した。
夕食時、昨夜のニアンとのやりとりを話す。
「昨日、もうマニーとは会わないって約束させられたよ」
しばらく会話が途切れると、彼女は、人形のように無表情で話し始めた。
「私、リンには勝てないのね。もしリンがアモックのことを本当に好きなら、私はアモックと会わなくてもいいわ」
そこまで言うと押し黙り、彼女の瞳からは、想いが雫(しずく)となって剥がれ落ちた。
美味しいはずの麻婆豆腐に、まったく味を感じない。
人は、心に受ける傷で、ここまで味覚が麻痺するのかと初めて思い知らされる。
長く重い沈黙が、華やかな周りの雰囲気とは対照的に二人を包んだ。
「マニー、また手紙を書きたいから、これから言う言葉をクメール語に直して教えて。
僕は、それを日本語で書き取るから。それをニアンの前で読めば、クメール後の発音だから、彼女も理解できるでしょ」
乗り気でない彼女は、物憂(ものう)げな表情で引き受けた。
辻は、真っ赤な絨毯(じゅうたん)の映(は)える中華様式のレストランを出て、すぐ近くにある二人掛けの赤いソファーに腰掛け手紙の内容を考える。
そして、内容が決まった時、彼もまた自然と一筋の涙を流していた。
「僕は、マニーと会いません。そして、ニアンとも会いません。
その代わり、最後に一つだけお願いがあります」
辻は、マニーがカンボジア語に翻訳して聞こえた発音を、そのままバカラのスコアカードに書き取った。