バナナの実 【近未来 ハード SF】
辻は、ここにギャンブルの真理を知ったような気分になった。


「嬉しさには耐性ができるから。始め3000円勝っても嬉しいけど、そのうちそれでは満足できなくなり、3万円勝たないと嬉しくなくなる。


ここに来ているタイ人は、遊びで来ているから持ち金が無くなってもいいんだよ。でもプロを目指すなら自分の決めた金額で止めないとね」


数日後、須藤は辻にそう助言を残し帰国していった。


辻にとって彼の言葉は、目から鱗(うろこ)だった。

自分では分かっているつもりでも、いつも実行できない自分に腹立しささえを感じていたからだった。



最後の決戦から58日目。


ついにこの日、今まで砂浜に築き上げた高き砂の塔は、心の防波堤を乗り越えた大波によって、すべて海の藻屑(もくず)となった。


今までのプラスばかりか、初めの資金2万バーツ一切を失ったのだ。


一時、5万バーツ(16.5万円)まで増えた資金は賭けに熱くなり、最初に決めた損切りを守れなかったのがその敗因となった。


拳(こぶし)を強く握り締めた辻は、カジノに負けたことではなく、自分の決めたルールを守れなかったことを悔(く)いた。


残念だけど、帰国しよう。




翌朝一、木製の人力荷車を引いた行商で込み合うカンボジアの国境を越え、バンコク行きの二階建てバスに乗り込み席に着く。


車内は、ガンガンに冷房が効いているが、晴れた外は今日も熱くなりそうだ。


ギャンブルでは身が立たないことはいつまで経っても変わらなかった。


ギャンブルから逃れたいと思う自我を、まるで他人の手が掴むように、引きとめようとするもう一人の自分が呪縛となってずっと存在していた。


昨夜、カジノで大損したにも関わらずやっとその呪縛から解放(ときはな)たれたように、辻の心は今見ている青空と同じくらい澄み渡っていた。


彼女の初めに怒鳴った時の表情が未(いま)だに忘れられない辻は、携帯電話を取り出す。
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