バナナの実 【近未来 ハード SF】
「あぁ、なるほど」
強制労働を強いられる空気清浄機が静かに文句を呟(つぶや)く上で、タバコの煙が黄色い壁をはうように昇っていく。
「でも、成功も何もしていない普通の人が、自伝的サクセスストーリーを書いたからって、本当に成功者になる話なんて聞いたことないじゃないですか」
「だから、逆転の発想ってやつかぁ」
店長は若くして外食産業の経営者を任され、その頭の切れは今も健在だった。
「ええ、そんな小説や映画が一つくらいあっても、面白いかなあと思いまして」
「スケールがデカイなあ」
「そこで、小説の中にその“バナナの実がなる条件”を全て揃(そろ)えてやれば、バナナの実が必然と生ったように、小説の内容は実現すると考えたわけなんです」
「トゥルルルル トゥルルルル」と電話が遠くで催促する。
「なるほど。なんか一つ上手くいくと、トントン拍子ですべていきそうだね」
「店長ー!」という調理場から鳴り響くスタッフのサイレンに、辻の腑抜(ふぬ)けした眼前を慌(あわ)てて店長が飛んでいく。
辻は、小説の構想を他人に説明できても、実際、実現するかどうかについては、自信が持てずにいた。
昼間のシフトを終えた女子高生に同じような質問をしてみるが、明確な答えが出るわけもなく、ただ話を聞いてもらうことで言いようのない不安を解消しようとしているかの様であった。
それから二ヵ月間、辻は、ピンクの粉が少し張り付いて汚れたノートパソコンに向かい、連日小説執筆に専念した。
小説の中に条件さえ整えれば、50億円を手にすることができる。
ただその条件を見つけることが難しいというだけで、逆に言えば、一見簡単に思えるカレーライスであっても、条件が一つでも揃わなければ、未来実現しない。
“明日、午後7時にカレーライスを食べる”とは?
“未来実現”とは?
“条件”とは?
辻は、そんな当たり前のことを当たり前とは思わずに、ああでもない、こうでもないとひたすら条件を思案していた。
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