思いがけずロマンチック
あまりにも大きな音に驚いて、千夏と私はその場で固まったまま動けない。私たちだけではなく事務所全体が一瞬で静まり返って、様子を窺っているのがわかる。
足音は鳴り止むことなく私たちの方へと向かってくる。間違いない、益子課長だ。
机の陰に潜んだ千夏さんが、そろりと私の座った椅子の方へと体を寄せてくる。
千夏さんの体が完全に机の陰に隠れるのと、パーテーションの向こうから益子課長が現れたのはほぼ同時だった。
眼鏡の奥の目を血走らせて怒りを露わにした益子課長は、私を見据えながら席に着く。そして大きく息を吐いて、ものすごい勢いでキーボードを叩き始める。モニター越しとはいえ激しくキーを叩く音は不快でしかない。
今すぐ席を外してしまいたいけれど、千夏さんを残しては行くことはできない。もし千夏さんがここに居ると知られたら、何か嫌味を言われるに決まっている。
ひと際大きく叩き込む音を最後に、キーを叩く音が鳴り止んだ。ゆっくりと益子課長が立ち上がる。条件反射的に身構えたけれど何にも言われることもなく、千夏さんに気づくこともなく。益子課長は居室を離れ、どこかへ行ってしまった。
ふうっと息を吐いて、千夏さんと顔を見合わせる。カチカチに固まっていた体の力が抜けて緊張感からは解き放たれたけれど、まだ不安はくすぶっている。
「莉子ちゃん、気をつけなよ」
千夏さんは言い残して席へと戻っていった。