強引なカレの甘い束縛
「そこまで本気で仕事がしたいなら採用試験を受けるときに、総合職での採用試験を受けようとは思わなかったの?」
ふと思いついたことを尋ねると、稲生さんは表情を変え、悔しそうな声をあげた。
「あのときは何も考えずに採用試験を受けたんですよね。会社のネームバリューっていうか、知名度の高さと安定性? それだけで選んだというか。大学には英語を勉強しようと思って入ったんですけど、入学した途端英語は私に向いてないって気づいて。仕方がないから必要最低限の勉強をして四年で卒業して大企業の内定をもらおうって。それが大学時代の目標だったって、恥ずかしいですよね」
「ううん。安定した会社に入りたいって思うのは当然だしおかしくないでしょ」
「そうなんですけどね。私、それなりの高校に入ってそれなりの大学を出て。……もちろん本気の恋愛をしたこともありますけど、残念ながらお別れして。それからは付き合う男性には本気になれなくて。だけど、告白されて好きになれるかもしれないって期待して付き合えば、浮気されてこっぴどく振られたこともあって、もうどうしようもないほど傷ついて落ち込んで」
「そ、そうなんだ。でも、好きな人が自分以外の人に気持ちを移したら、傷つくし落ち込むだろうし……」
うつむき小声で話す稲生さんの気持ちをうかがいながら、彼女を慰めた、つもりだったけれど。
「違うんです」
稲生さんは勢いよく顔をあげ強い視線を私に向けた。
「私、お付き合いしていた恋人を本気で好きなわけではなくて、大好きだった人を忘れるための存在にしていたというか。でも、それって相手にはわかるんですよね。恋人同士なら近づいて当然の距離を縮めることもできなくて傷つけて、振られたり」
稲生さんには今でも後悔が残っているのか、早口の言葉には苦しみが感じられて、その上歩みを止めて両手を握りしめている。
「稲生さん?」
彼女の顔は赤く、過去を思い出しているようだ。
「私、いつになったら忘れられるんだろう」
「え、稲生さん?」
すでに駅まであと少し。大通りを歩いていることもあり人通りも多くすれ違う人たちがちらちらと私たちを、というよりも、がっくりと肩を落として立っている稲生さんを見ている。