強引なカレの甘い束縛
「え?」
突然陽太の名前を出され、はっとした。
「春川さんは今のプロジェクトが終われば確実に異動となるでしょうし、もしも萩尾さんがシステム開発の仕事に就いていれば大原部長の采配で一緒に異動させてもらえるでしょうけど、事務職採用には地域をまたいだ異動はないんで寿退職をして春川さんと一緒に異動先に行くしかないんです。……もちろん、知ってますよね」
「あ、そうだね。うん、知ってる……よ」
「大原部長の家でのバーベキューに春川さんと参加した時点で、萩尾さんと春川さんは結婚を視野に入れた付き合いをしていると公言したようなものだし。春川さんの異動によってふたりの関係が面倒なことにならないよう是非とも配慮をお願いしたいっていう意味、わかってます? バーベキューに行くっていうのはそういうお伺いをたてるというふかーい下心満載で臨むってことです」
「えっと」
並んで歩きながらも、稲生さんは強い口調で言葉を続ける。
もちろん私だって、大原部長の家でのバーベキューの意味は、今ではもうわかっているけど。
「陽太と結婚って、まだちゃんと話してないし」
当分、ありえない……と。
強くは言い返せない自分に気づく。
「萩尾さんが、春川さんとの将来を捨ててでも今の仕事に生涯を賭けると決めているなら別ですけど。正直言って、私も含め事務職として働いている社員が明日辞めても、多少のごたつきはあっても業務が滞ることはないんですよ。私たちの代わりはいくらでも控えているということです」
「それは、わかってるよ」
社長を含め、社員の誰が会社を辞めたとしても、会社が立ち行かなくなることはないと、大原部長も言っていたし、納得している。
その中でも、とくに事務職の私たちの代わりはいくらでもいる。
社内の各部署に配属されている事務職の女性を上手に振り分けることで、仕事が滞ることもない。
「萩尾さんにとって今の状況は、春川さんとの未来を手放してでも維持したいほどの魅力がありますか?」
それほど重い口調ではないし、私が現状を変えることに躊躇することを知っているわけではない稲生さんの何気ない言葉だけれど。
駅に向かってリズム良く歩いていた私の足音が、ほんの一瞬乱れた。
隣を歩く稲生さんを見れば、普段と変わらない表情。
やっぱり、私への言葉に大きな意味はないのだろう。