強引なカレの甘い束縛
事務職の仕事を卑下するわけでも、システム開発の仕事を優位に考えているわけでもないけど、私や稲生さんが担当している仕事の方が、引き継ぎがしやすいということは明らかだ。
そのことを含めて、私と陽太とのこれからの関係を気遣ってくれたのだろうし、稲生さんの中では単なる会話のひとつにすぎないだろう。
けれど、それは私にとってはとても大きな大きな問題だ。
陽太と共に生きる未来を手にするためには、私が苦手としている現状の変化を乗り越えなければならないのだ。
新しい場所で新しい人間関係を築き、生活すべてを一新する。
子どもの頃何度も引っ越しや転校を繰り返しては、それまで築いてきた自分の世界をそれによって壊されてきた。
大人になり、二度とそんな切なさを味わいたくないと思い、その可能性から逃げながら過ごしている。
それを最も大切なものとしてとらえて生きて、そこから離れるつもりはなかった。
でも、それによって陽太を失うことになるのならば、私は何を一番に考え、何を手に取ればいいのだろうか。
それは、もう、わかっている。
今までの自分であれば、きっと現状を維持することを最優先にしてそれ以外を二の次に考えていたはずだ。
だけど、陽太と互いに気持ちを通わせた今の私には、それが無理だとわかっている。
何よりもまず、大切に考えなければならないもの、それは陽太にほかならない。
「萩尾さん?」
「あ、ご、ごめん」
歩く速度が落ち、何も見えていない私の視線の先に稲生さんの顔があった。
訝しげに私を見ている視線とぶつかり、慌てて口もとだけで笑みを作った。
「な、何でもないの。慣れない講習会に出るから緊張しているのかも」
「……まあ、いいですけど、そういうことで」
からかうような稲生さんの視線から目を逸らし、ようやく着いた駅へと入る。
改札を抜け、お昼は何を食べようかと話している稲生さんの言葉に相槌を打ちながら、陽太に会いたくてたまらない自分に、苦笑した。