オフィス・ラブ #another code
現地カナダのアテンダーが、強行軍の視察の息抜きにとつれてきてくれた、この電波塔は。
地上数百メートルの展望台の中に、足元が完全に素通しになっているガラス張りの床があり。
意地でもそこに立つまいとした新庄を、大阪から同行したマネージャーたちが腹を抱えて笑った。
「新庄君、高いとこ、ダメなんだ」
「楽しみどころがわからないだけです」
強がりを承知で言い張ると、なおさら愉快そうに笑われる。
同じホテルに長くて2泊、という生活を続け、詰めこみに詰めこんだこの視察行脚も、残すところあと2日となっていた。
「設備予算の拡張が必要ですね」
「什器類は、うちの開発費でまかなうから、そっちの担当者と相談かな」
「うちの設備費には、余裕があるでしょう? そちらをあてるわけには、いきませんか」
「通るかな。財務と調整してみよう」
「戻ったら、僕から連絡を入れます」
日頃、受発注と納品、戻し、くらいのやりとりしかない海外のオフィスを実際に歩いて見てみると。
予想外に、根本的な労働環境の課題が見つかり、マネージャーや同行した社員とひざをつきあわせて、毎晩打ち合わせた。
硬いベッドに横になり、持ってきていた本を開く。
出張に出る前、堤からもらったOB役員の来歴に著書の記載があったので、参考にと本社から取り寄せたのだった。
相当な切れ者であることがわかる、実に興味深い著作だった。
30年以上前の著であるにもかかわらず、当時の日本の広告代理のありかたに、やがてグローバルが追いつくことを示唆している。
広告後進国と思われていた日本が、実はグローバルスタンダードになり得る構造を生み出していたことに、気がついていたのだ。
会うのが楽しみだ、と思った。