今、鐘が鳴る
『百合子だけじゃないよ。夢も目標も定まらない大学生、日本には多いよ。いい大学に入ること、いい企業に就職すること、公務員になること……なんて、夢でも目標でもないよ。ただの親や社会のimprinting(刷り込み)だろ。無気力なことに気づいてない奴が多いなかで、百合子は自覚してる分、マシだよ。』

……この人、何、言ってるんだろう。

「一般論で私を測られても、何の感銘も受けないけど。」
少し苛ついてそう言った。

『そう?少なくとも、不愉快に感じさせることはできたみたいだけど。』
「……切りますよ、電話。」

意味のない会話に、さらに苛立つ。

『もうちょっと。この程度じゃ、すぐおさまるでしょ。』

……何がしたいの?

「おっしゃる意味がよくわからないのですが。」
少し毒を込めてそう言った。

すると碧生くんは、真面目な声で言った。
『本当はね、百合子を喜ばせたいんだよ。でも喜ぶどころか、笑ってもくれないだろ。だから、怒らせたり、泣かせたくなる。要は、人間らしい感情をぶつけてほしいんだ。』

胸の奥のほうでチリッと小さな痛みを思い出した。

「……それで私に嫌われたら元も子もないんじゃありません?変な人。」
そう言ってから、思い出して付け加えた。
「いいえ、喜びましたわ。紅(べに)をくださったの、碧生くんですよね?とても素敵でした。ありがとうございました。」

すると、電話の向こうで碧生くんが苦笑した。
『どういたしまして。お気に召したようでよかった。でも、モノであなたの歓心を買ってちゃダメだな。俺。』

自嘲的な碧生くんの声は、いつまでも耳に残った。




3月3日の雛祭り。
母は毎年、古いお雛様を飾ってもらい、祝う。
飽きもせず、過去の想い出に浸るのだろう。

お赤飯や蛤のお吸い物、お大根と金時人参のなます、鯛。
……現代では特に豪華とも思えない、昔のご馳走を作ってもらう。

何か行事のあるごとに、この母は過去に生きていることを痛感する。
義父のおかげで、今も充分幸せなはずなのに。
母は今もかつて愛した男性(ひと)を忘れていないのだろう。
口にも態度にも出さないけれど、確信している。



「では、行って参ります。」
「若宗匠によろしく伝えてくださいね。」

母にそう送り出されて、私は義父の会社のかたの車に乗り込む。
「よろしくお願いします。」
義父から私語を堅く禁じられてるらしく、どの社員のかたも、黙って運転手を務めてくださる。



17時頃、宗和のお家元に到着した。
いつもお稽古している茶室には電気が付いているが、その奥の趣のある古い茶室は無灯のまま。

薄暮のお庭を進み、ご挨拶をした。
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