今、鐘が鳴る
「おいで。」
手招きされて、ソファに座った碧生くんの膝に座った。

「ごめんね。俺がそばにいてあげられなかったから、また百合子を迷走させちゃったんだね。」
碧生くんは私を責めない。

「何か聞いた?水島くんから。」
恐る恐る聞いてみた。

「ん~、まあね。断片的だけど。」
言葉を濁した碧生くんをうるうると見つめると、碧生くんは観念したようにため息をついた。
「たいしたこと聞いてないよ。摂食障害と睡眠障害で心療内科に通ってた泉さんがこの2週間で見違えるほど回復したって。」
心療内科……泉さん、本当にボロボロだったんだ。

「同じ頃から百合子が元気なくなって面やつれした。」
そう言って、碧生くんは両手をそっと私の両頬に宛がった。
「せめて幸せそうなら知らんぷりしてるんだけどね。」

幸せ?
私はふるふると首を横に振った。

「幸せなんて……。でも、どうしてもほっとけなかったの。あんな泉さん、見てられない。」

やれやれ、と碧生くんはため息をついた。
「それで百合子がしんどくなってちゃダメじゃん。俺も、もう見逃してあげられなくなるよ、これじゃ。」

じんわりと涙が浮かんできた。
「ごめんなさい。」

碧生くんは唇で涙を拭ってくれた。
「でも、もう終わりだから。……もしかしたら訴えられちゃうかもしれないけど。自業自得ね。」
私がそう言って無理矢理ほほえむと、碧生くんは目を見開いた。

「奥さんにばれたの?」
「たぶん。顔は合わせてないけど。」
……それ以上詳しいことは言いたくなくて、私は口をつぐんだ。

碧生くんもまたしばらく黙って考えていたけれど、どんどん不安が募る私を慮(おもんぱか)ったらしく、笑顔を見せてくれた。
「大丈夫だよ。水島に聞いたけど、既に夫婦関係は破綻してたようなもんらしいよ。」

私は首を横に振った。
「破綻してたら、あんな風に必死になられなかったと思う。奥様は、それでも、泉さんを愛してたのよ。奥様のお気持ちを全く思いやれず、私は……取り返しのつかないことを……」

ボロボロと大粒の涙が後から後からこぼれてくる。
碧生くんは、涙を拭いてくれながら言った。

「百合子。今さら罪悪感でバカ正直に奥さんに謝罪するとか、ダメだよ。そんなの安っぽい自己満足でしかないからね。最初から不倫ってわかってたんだろ?少なくとも、泉さんの奥さん、娘さん、俺、水島あたりを騙し通す罪悪感は一生背負う覚悟はできてたんだろ?」

覚悟なんて、なかった。

私は首を横に振った。

……なるべくなら秘め事でいたかったけど……いつの間にかみんな知ってるみたいだし……

違う。

知ってて知らんぷりしててくれるみんなの気遣いに甘えてたんだ。
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