今、鐘が鳴る
「いいよ、百合子は座ってて。どうせたいした準備もないから。」

恭匡さんはそう言ってくださったけど、碧生くんもお台所へ行ってるのに。
……自分がこういう時、何の役にも立たないことはわかっていたけれど……惨めな気分。

しょんぼりしてると、碧生くんが小さめのダンボール箱を持ってきた。
「じゃ、百合子はコレ。枝からとってくれる?3つぐらい絞って果汁を使うから。」
箱の中には、緑の葉っぱや小枝の中に黄色く色づきかけた実が入っていた。

「これ、なぁに?柚子じゃないし……」
そう言いながら、手を入れると、指先にするどい痛みを感じた。

「痛っ!」

驚いて手を引っ込めると、人差し指の先から血がにじみ出した。

「百合子!?」
台所に戻りかけた碧生くんが戻ってきて、私の手を取った。

「何か刺さった……」
ズキズキというよりはジンジンする痛みに驚いていると、碧生くんはペロッと血を舐めた。

「あーあ。棘(とげ)が刺さっちゃったんだね。かわいそうに。やすまっさーん!絆創膏ちょうだーい!」

火遊びに興じていた恭匡さんがお庭から顔を出し、小箱を持って来てくれた。
「……包丁使ってないのに、どうやって怪我したの?」

「橙(だいだい)の棘が刺さったみたい。ウェットタイプのほうがいいかな。」
「棘ぇ!?百合子……どんくさ……」
恭匡さんは碧生くんに睨まれて、首をすくめてまたお庭に戻った。

碧生くんが手際よく傷口を蒸留水で流してから、ウェットな絆創膏を貼ってくれた。
「はい、これで大丈夫。ごめんね、危ないことさせて。百合子はココに座っててね。」
そう言って、碧生くんは怪我した右手じゃなくて、左手を取って、床の間の前のお座布団に誘(いざな)った。

……結局何のお手伝いもできないまま……むしろ邪魔してしまった。

「いいんだよ。百合子はお姫さまでいたら。今日は洋服だからソコだけど、着物なら床の間にずっと座ってて欲しいぐらいだよ。」

碧生くんはそんなことを言いながら、私の代わりに箱から実を出した。
「だいだい、って言った?それ。」
「そう。橙色の橙、ね。英語ではビターオレンジ。」

ビター……苦いの?
「食べたことない気がする。それ、食べられるの?」

「フルーツとしては酸っぱすぎて美味しくはないけど、お料理やお菓子にはなるよ。」
そう言って、碧生くんは一旦お台所へ行き、いくつかの調理器具を持って戻ってきた。

……私が淋しくないように、わざわざそばにいてくれるのだろう。
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