今、鐘が鳴る
「ところで、中沢さんがいらっしゃらないけど……どうされたのかしら?」
水島くんと泉さんのレースの前には必ず金網に張り付いてらっしゃると思ったのに。

キョロキョロしてると、碧生くんも周囲を見渡して
「あ!」
とスタンドを指さした。

水島さんはスタンドで考える人のようになっていた。
遠目にも顔色の悪さが見て取れた。

「体調、お悪いのかしら?」
じっと見ていた碧生くんが、ボソッとつぶやいた。

「いや、大勝負したんだろ。泉さんで。」
……大勝負?……大丈夫?


決勝戦は、賑々しくスタートした。
いつもより長い周回を経て、打鐘(ジャン)が鳴る。
泉さんは、中部ラインの3番手。

関東ラインの先行を中部ラインは捲り切れなかった。
でも泉さんは、単騎で捲ってきた東北の2番車の後ろに飛びついて、一緒にゴール前まで上がって行った。

泉さんがハンドルを前に突き出すように首を下げる。

「届いた!?」
「どっちだ!?」

周囲がざわつき、口々に言い合う。
モニターの前に人が移動して、ゴール前のスロー映像を食い入るように見つめる。

喧噪を他人事に、泉さんは飄々と周回していた。
その表情からは、優勝とも2着とも読み取れなかった。

不意に泉さんがこっちを見た。
でもその瞳に私が映ったのか映らなかったのかすら、わからなかった。

泉さんが敢闘門に戻ってから、写真判定の結果が出た。
タイヤ差で2着。

泉さんはまたタイトルを逃した。






『静岡から、水島の車に泉さんと中沢さんを乗っけて帰ったらしいよ。』
帰宅してからスカイプで碧生(あおい)くんがそう教えてくれた。

「そう。よかった。中沢さん、自殺でもしそうな顔色だったから心配だったの。」

碧生くんがクスッと笑った。
『あの人、泉さん1着しか買わなかったんだって。決勝戦だけで50万円以上なくなったらしいよ。』

……そんなに……。
「決勝戦だけは泉さん1着でしか買わないのね。……本当に応援してるのね。」

しみじみそう言うと、碧生くんがボソッと言った。
『何となく、俺、あの中沢さんとウマが合うような気がする。』

ギョッとしたけれど、確かに軽薄っぽい口調なのに底知れなさを感じるインテリ中沢さんは、興味深い人かもしれない……競輪狂だけど。




翌日から碧生くんは、恭匡(やすまさ)さんと共に仕舞のお稽古三昧らしい……当然、夜は酒盛りするんだろうけど。

そして、私のほうも後期試験の全日程が終了し、来年度から始まるゼミの飲み会があった。

今年卒業される現4回生の送別会と、2回生の歓迎会を兼ねて3回生が企画したらしい。

すごーく気乗りしないけれど、欠席するわけにもいかないので、渋々出かけた。
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