今、鐘が鳴る
「これ、どういう意味?」
義人さんが若宗匠に、床の間の掛け軸を指差して聞いた。

「鐘聲七條 (しょうせいしちじょう)。」
若宗匠はそう読んで、からおもむろに言った。
「禅問答の公案。本当はもっとつらつら長いんだけど覚えてない。世界はこんなにすばらしいのに修行僧はなぜ鐘の合図で袈裟をまとうのか、って。」

どうやら、若宗匠は、反語として捉えてらっしゃるのだろう。
禅問答の公案としてではなく、「だから楽しく遊ぼう」と言うために。

義人さんもピンときたらしく、それ以上は突っ込まず笑ってらした。



「そういや竹原、大学院合格したって?」
若宗匠が義人さんにそう確認した。

「ああ。まだ当分、学割使えることになったわ。」
……義人さん、大学院に進むのね。

ますます手の届かない人になるような気がした。
まあ、そもそも、どうしようもないのだけれど。


若宗匠のお点前でお茶をいただいて、一応終了となる。
が、若宗匠は二次会も計画してらしたようだ。
さやかさんと義人さんが乗り気なのを確認してから、私は1人で辞去させてもらった。


玄関まで路地傘をお借りして、雪を避ける。
「編み笠?番傘じゃないんや……おもしろ~。」

いつの間にかすぐ後ろに義人さんがいた。

「路地笠って言います。二次会、行かれないんですか?」
「……送るよ。」

胸がドキドキする。

2人きりになるのは何年ぶりだろうか。



義人さんは、銀のベンツCLAという小さいセダンに乗り換えていた。
……いかついSUVタイプはやめたのね。

「乗り心地、前よりいいやろ?」
「……そうですね。」

こっそり義人さんの横顔を見る……運転中は前を向いてはるから、私はいつもこんな風に義人さんを見つめていた。

「久しぶりやな。」
「……そうですね、由未さんの結婚式以来ですね。」

昨秋11月のことを思い出す……義人さんに手を引かれた少女に心が波立ったことも。

「いや、2人きりになるの。」

ドキンと心臓が跳ね上がった。

「……2年か。あの日も雪やったな。」
「2年2ヶ月。雨が途中で雪に変わりました。」

私がそう言うと、義人さんはこっちを見て微笑んだ。
「変わってへんな、百合子。」
義人さんの笑顔に愛情を感じて、私も自然と笑顔になった。

変わるわけない。
あれからずっと私の時は止まったまま。

「義人さんも?」

そう聞くと、義人さんは苦笑した。

「そやなあ。このまま帰したくないなあ。」

胸がいっぱいになる。

私はそっと義人さんの肩に頭を預けてもたれた。

……好き。

やっぱり好き。

何年たっても、好き。
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