今、鐘が鳴る
「それって、泉さんのために、水島くんは無駄死にしなければいけないということですか?」
思わずそう聞いてしまった。

「無駄死に?犬死に?……特別な専門用語あるの?」
碧生くんが尋ねると、水島くんは苦笑した。

「死に駆(が)け、とは言うな。まあでも、俺が強くなれば、ワンツー決められるから。死ぬとは限らんし、な。」

ワンツー……1着2着を独占って意味よね。

何だか、専門用語が多すぎて、頭がクラクラしてきた。
すぐに類推して理解できてるらしい、碧生くんの頭脳がうらやましい……。




「こんなとこで、初心者教室?水島くん、そんな暇あったら練習しなよ。」

いつまでも入口付近で立ち話をしている私達に、ひょろりと背の高い男性が近づいてきてそう言った。

「中沢さん。こんにちは!練習はちゃんとやってますよ。」
水島くんがそう挨拶した。

「……見るからに競輪に縁のなさそうなお嬢さんとお坊ちゃんだね~。」
中沢という男性は私達にそう言ったけれど、彼自身も、何というか、昭和のイケメン?
整った顔立ちに八重歯が白くキラッと光った。

「中沢さんもインテリ臭プンプンしてますけどね。」
水島くんの言葉を否定せず、中沢という男性は私達に向き合って笑った。

「阿佐田哲也って知ってる?」
聞いたような名前だけど確信もなかったので、私は黙って碧生くんを見た。

碧生くんはちょっと自信がなさそうに
「『麻雀放浪記』の作者ですか?」
と聞き直した。

「そうそう。よく知ってるね。色川武大(いろかわたけひろ)って本名で純文学も書いてるけど、ギャンブラーの神様って言われる人なんだよ。その彼が『競輪はギャンブルの終着駅』って言ってんだよね。」
中沢という男はそこまで言ってから、何とも言えない凄みのある目をして笑った。

「ハマると人生変わっちゃうよ。」

……軽口なのに、深い言葉だった。
実感がこもっているのだろう。

「中沢さん!脅さないでくださいよ!せっかく新規ファン獲得しようと勧誘してるのにぃ~。」
水島くんがそう言うと、中沢という男は飄々とした態に戻った。

「ごめんごめん。ま、水島くんがA級のうちは、水島くんで車券買っとけばいいよ。安くても銀行よりはよっぽど儲かるから。」

じゃあね、と中沢という男は去っていった。

「捉えどころのない人だな。職員?」
碧生くんが水島くんにそう尋ねた。

「まさか!俺もよく知らないけど、それこそ、競輪で人生狂わせたらしいよ。……師匠のレースが大好きで俺も目をかけてもらってるというか……師匠を引っ張るように期待されてるというか……」
水島くんは苦笑いしていた。
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