今、鐘が鳴る
少し離れたところでおじさん達が盛り上がっている話に耳をそばだてる。

「特選で競(せ)ってもしょうがないやろ。」
「いや、しょーりやで。競られて黙ってるわけないわ。ガツーンといきよるわ。」
「横、やり過ぎて、前、行けんやろ。競(せ)りの2人はいらんな。」

何となくわかるような、やっぱりわからないような……。
いてもたってもいられない気分になり、私は有料席を出てバンクに近づいた。
金網に手をかけてバンク内を覗く。
急角度で、怖い。
こんなところで落車したら……。
ゾクゾクと背筋に震えが走った。

「あーあ。来ちゃったんだね。」
聞き覚えのある低いイイ声に振り返る。
奈良で水島くんに話しかけてた中沢という男だ。

「ごきげんよう。中沢さんとおっしゃってましたよね?」
よくわからない男でも、見知らぬおじさんと比較すれば気楽で心強い。

「ごきげんよう、ね。お嬢様なわけだ。競輪にハマっちゃった?」
そう問われて慌てて首を横に振った。

「いいえ。……レースを見るのははじめてですわ。」

すると中沢さんは顔を歪めるように笑った。
「じゃあ、しょーりにハマっちゃったんだ。泉勝利。僕と同じだね。」

とんでもない!
私は両手を振って、違う違うとアピールした。

中沢さんは何も言わずに、出走表を出した。
「誰を買ったの?」
「え……買ってません。学生は車券の購入できませんでしょう?」
「はあ!?何しに来たの?」

……いや、ただ、泉さんのレースを見に……そう言いかけて、気づいた。
私、本当に泉さんのレースを見たい一心で来たんだ。
碧生くんに止められたのに。

硬直してる私を意味ありげに眺めて中沢さんは口を開いた。
「今日のしょーりは、番手にこだわるべきではないんだ。勝ち上がりに関係のない一戦で、リスクを負う必要はない。そうだろ?」

番手とは、先行選手のすぐ後ろの位置のことらしい。
私がうなずくのを満足そうに見てから、中沢さんは続けた。

「でも、あいつはやるよ。自分の位置を黙って奪われる男じゃない。一撃で相手が諦めてくれればいいけど……どうかな。」

中沢さんは端正な顔を紅潮させて興奮していた。

「こんなとこじゃよく見えないよ。こっちこっち。」
発売締め切りのブザーが鳴る中、中沢さんに促されてスタート台の前まで行った。

音楽が鳴って選手が1人ずつ敢闘門から出てくる……わ!泉さんが先頭なんだ!
まっすぐこっちに向かってくる。
ち、近い!
近すぎて、めっちゃ目が合ってるんですけど!
怖いっ!
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