甘いだけの恋なら自分でどうにかしている

一瞬、わからなかったのだけど、少しして驚いた。
「課長」と思わず声が出てしまったが、課長ではない。
課長の彼女だ。少し離れたところから見えたのだけれど、なんとなく覚えている。
その女性は一人で来ていたが、私みたいに臆する様子もなくカウンターに戻ろうとした綾仁くんに声をかけた。

「お疲れ様」
「あ、お疲れ様です」
とても軽いやりとりに、ここの常連のお客さんなのかなと目が点になる。
どうしよう。ちょっと気まずい。でも向こうは私のこと100パーセント知らないのだから、バレるわけがない。店の奥に消えていく彼女を見届けてから
「今の人、すごい奇麗な人だね」と探りをつい入れてしまった。
「ああ。オーナーです」
「へええ。オーナー。え、オーナー?」
「はい」と微笑む。
「……へえ。すごいね。あんな綺麗な人がここのオーナーなんだ」
「はい」
もっと訊きたかったけど、自分が怪しい者のように感じてやめた。
彼氏はどういう人なの? なんて綾仁くんが知っているかもわからないし。

「そろそろ帰ろうかな」と呟くと綾仁くんが「僕ももう上りなんです」と言った。
「タクシーですか? 電車?」
「今日はタクシーにしようかなと思ってた」
「遅いし。そこまで送りますよ」
え、いいよ、そんなといつもの癖で言いそうになったけど、ああ無駄な遠慮はいらないなと思い直して「じゃあ、待ってるね」と言った。
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