強引社長の不器用な溺愛
何か用事かと尋ねられたらどうしよう。だって、私に確たる用事はない。

しかし、社長は私の顔を見ると何を聞くでもなく、横のスツールをポンポンとたたく。
ここに座れって意味みたい。


「マスター、篠井にも何か作ってあげて」


マスターが微笑んだ。


「かしこまりました。篠井さん、お外はずいぶん寒かったでしょう。何かあたたかいものにしましょうか」


私の様子が『飲みに来た』と言った感じじゃないのをマスターはちゃんと感じ取っている。

私が席に着くと、ほどなくあたたかなウイスキーベースのお酒がやってきた。クローブの香りが心地良い。
両手で包むように持ってひと口。少し甘い。お酒も薄く、痛む喉に優しい。緊張感が、やわらかくほどける。

そこまでまったく喋らなかった社長が、口を開いた。


「うまい?」


「はい、美味しいです」


「声、ちょっとマシになったな」


「お陰様で」


会話が途切れる。私は少し間を置いて言った。


「今日、お兄さんの幸弥さんとお会いしました」


社長の気配がわずかに変わった。
かまわず、私は続ける。


「私に会いにいらしたそうで、少しお話をしました。幸弥さんが、仰ってました。社長が婚約の嘘をついたのは幸弥さんのためだって。私に済まなかったと頭を下げられて……」
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