カフェ・ブレイク
「メリー・ウィドウって、♪言わねど知る恋心 想う人こそ君よと♪だろ?音楽の教科書に載ってる。」
俺は店内にかけてたコーヒーカンタータを消して、メリー・ウィドウをかけた。

「ドイツ語だけどニュアンスはわかると思うよ。女を扱いかねて嘆いてる歌。」
そんな話をしてると、店のドアが開いた。

「真澄さん……」
まさか、真澄さんが来てくれるとは思わず、俺はつい見とれて立ち尽くしてしまった。

「こんにちは、マスター。……あら、珍しい曲。『唇は語らずとも』ですね。」
「あ、いらっしゃいませ。あけましておめでとうございます。」

……女女女のマーチをかけてなくてよかった!

頼之くんがニヤニヤと俺を眺めながら小声で歌っていた。

♪調べにつれときめく胸 この思いを告げよと波打つ
 口は閉じても心には通う 愛の甘きささやき♪



真澄さんは、白いダウンコートのまま入口に立っていた。
レハールのロマンティックなワルツの調べに、俺の鼓動まで踊り出す。

「頼之(よりゆき)。監督が呼んでらっしゃるわ。一旦、戻ってきてほしいみたい。」
「え?何で?」
「さあ?協会がどうとか仰ってたけど、よくわからなかったわ。」
「ふぅん。……めんどくさ~。」

そうぼやいてから、頼之くんは席を立った。
「じゃあ、マスター、そのコーヒーは母に出してもらっていい?俺、用事終わらせたら戻って来るから。お母さん、寒いからココで待ってて。」

頼之くんは俺と真澄さんそれぞれにそう言って、コートも着ずに飛び出して行った。
「あ……私も……行くつもりだったのだけど……置いていかれちゃた……」
真澄さんがかけた声も差し出した手も、寂しく納められた。

取り残された真澄さんを、カウンター席へと誘った。
「どうぞ。ちょうど美味しく入りましたよ。ゆっくりしてってください。」

「はい。いただきます。……美味しい。体の芯まで冷え切っちゃったから、生き返る心地です。」
ほ~っと息をついた真澄さんが、かわいくて愛しくてしょうがない。

「正月早々大変ですね。保護者はおぜんざいを作る係で呼び出されたんですか?」
真澄さんは少し困った顔をした。

「いえ。おぜんざいは2年生の保護者が作って持ってきてくださいました。1年生の保護者は、お椀を洗うだけでよかったんですけど、外の水道しか使えないので、冷たくて。」
よく見ると、確かに真澄さんの手が赤くなっていた。

……あっためてあげたい。

手を伸ばしたいのをグッとこらえて、店内のエアコンの設定温度を少し上げた。
< 139 / 282 >

この作品をシェア

pagetop