カフェ・ブレイク
「吉永たっくん先生は、30歳、独身。学生時代はスキーの選手。理事長と親戚で、家は中世から続く社家。……多少の欠点は目ぇつぶってもいい優良物件やとは思うけどな。」

「しゃけ?」
意味がわからない。
お魚の鮭じやないし。

キョトンとしてる私に、竹原くんはさらりと説明を含めて話してくれた。
「たっくん家(ち)は、京都で5指に入る格式と歴史を誇る有名神社の神職を世襲してきた家や。神社はもちろんやけど、自宅も文化財やわ。」

「社家……ああ、そっちの社家。……似合わないわね。」
ついそう漏らしてしまった。

ぷっと竹原くんが吹き出し笑いした。
「そぉかぁ?いかにも『ええしのぼんぼん』やろ。俺とこみたいな成金ちごて、ほんまもんの『ええとこ』の子ぉやで。」

「……どっちにしても、2人とも、あんまりお行儀よくないみたい。」

私の言葉で、竹原くんはソファから立ち上がると、まるで中世ヨーロッパの騎士のように恭しくお辞儀をした。
タカラヅカファンの私は、不覚にもそれだけでときめいてしまった。
……中学1年生の男子生徒に。

「失礼いたしました。私は、竹原義人と申します。昨夏、採用試験に来られた夏子さんの麗しいお姿を拝見して以来、赴任される日を楽しみにお待ちしておりました。以後、よろしくお願いします。」
そう言ってから、竹原くんは手を差し出した。

手のひらを上にしてるところを見ると、求められているのは握手ではないようだ。
芝居じみたベーズマンに憧れは強いけれど、さすがに気恥ずかしくてためらった。

すると、竹原くんはあっさり諦めたらしい。
「残念。夏子さん、こういうの、好きかと思ってんけどなあ。」
竹原くんはそう言って、出口のほうへと向かった。

「……好きよ。」
お行儀悪い人は苦手。
慇懃無礼なぐらいのほうが好き。
……章(あきら)さんも、元夫の栄一さんも、言葉や物腰や所作の美しさに惹かれたんだもの。

「君がせめてあと10年、歳を取ってたら、コロッと落ちたかもね。」
冗談めかして言ったけど、半分以上本気だった。

竹原くんは、肩をすくめて振り返った。
「対象外ってことですか。ちぇ~っ。」

「そりゃそうでしょ。生徒なのに!」
本気で口説くつもりだったのかしら?

呆れて竹原くんを見たけれど、彼は本気で口惜しそうだった。

変な子。

……年上好きなのかしら……女子大生とも仲良しみたいだし。
竹原くんはドアに手をかけてから、ふと思い出したように言った。
「あ、そうや。俺、世之介みたいに無責任じゃないから。」

急にそう言われて、私は激しく動揺した。
どうして、私が世之介と言ったことを知ってるの?

「薬剤師の和田先生に聞いたの?」
「さっきぃな。……さすがにショックやわ。よりによって『好色一代男』はないわぁ~。」

和田先生、おしゃべりなのね。
言動に気をつけよう。

「光源氏か西門慶だとでも?その歳で、複数の愛人を囲うつもり?」
ちょっと苛立ってそう言うと、竹原くんは眉をひそめた。
「何でそうなるかなあ。オトナってやらしい!……まあ、光源氏は悪くないけど。」

やらしいのはどっちよ!
女子大生の部屋から朝帰りなんかしてるくせに!

「はいはいはい。光源氏でも在原業平でもドン・ファンでも何でもいいから、用事がないなら早くお帰りなさい。」
「ドン・ファン?……ドン・ジョヴァンニ?……モリエール、モーツァルト、シュトラウス……」

竹原くんは、戯曲の作家・作曲家を挙げた。
よく知ってるなあ、と感心して見ていると、竹原くんはニッと笑って私を見た。

「俺にはバイロン版ドン・ジョヴァンニが一番合うてる気がするわ。」
バイロン!
よりによって、バイロン!

「……悪趣味ね。」
「じゃあ、レーナウでいいよ。」

……バイロンまではわかったけれど、私はレーナウを知らなかった。
中学1年生に、知識で負けた……。

「出でよ!そして絶えず新たな勝利を求めよ!青春の燃える鼓動が躍動する限り!」
そう言い残して、竹原くんはカウンセリングルームから出て行った。



1月は行く、2月は逃げる、3月は去る……とはよく言ったもので、日々は瞬く間に過ぎた。
新しい土地、新しい学園での新しい生活ということをさっ引いても、早い気がする。

しかし、京都の冬の寒さは格別だと思う。
足が痛むほど冷たく感じる。
気温自体はそこまで低くないのだが、これが「底冷え」と言われる盆地特有の寒さなのだろう。
関東でも神戸でも風は冷たくても、こういう冷え方はしないので新鮮だった。

学園生活には、ほどなく慣れた。
保健室で一緒に勤務するはずの薬剤師の和田先生は、しょっちゅう姿をくらました。
校長と過ごしているのだろう。
最初は戸惑ったけれど、すぐに気にならなくなった。
むしろ独りでいるのは気楽だった。

カウンセリングルームには、あまり生徒は来なかった。
むしろ、教職員がおしゃべりに訪れることが多かった。
若い女性職員がコンパに誘いに来たり、男性教諭が用もないのにうろついてきた。
そして、体育教諭の吉永先生もまた、明らかに私を意識していた。
体育教官室に鍵をもらいに行くときも、返しに行くときも、必ず吉永先生がいて、鍵を手渡してくださった。

……ハッキリ言って、めんどくさかった。

意味ありげな目線とモノ言いたげな間(ま)から、毎度、素早く逃げた。
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