カフェ・ブレイク
「ご馳走さまでした。」
「また、いらしてくださいね。」
……どんなに心を込めてそう言っても、俺の気持ちは伝わらない。

手を伸ばせば届くところに真澄さんがいるのに、それ以上踏み込むこともできない。
泣きそうな気持ちを笑顔で隠して、2人を見送った。




電池の切れた俺は体調不良を理由に、翌日から3日間、店を休みにした。
学生の頃のように、深酔いして、よく知らない女を抱いて、自己嫌悪に陥る日々。

店をやってなかったら、ずっとこんな自堕落な生活を送ってそうだな。
金と暇を持て余すと、ろくなことをしない。

……今の俺の場所に戻ろう。
夜、まだ酔いの残る身体で店に行き、店内の清掃をした。

机1つ1つ、椅子1つ1つを丁寧に磨く。
銀食器も磨いておくか。
ランプの灯りのもと、黙々と銀食器を磨いていると、遠慮がちに店のドアが開いた。
……なっちゃんが驚いた表情で立っていた。

スーツケースを持っているところを見ると、横浜からの帰りだろうか。
「店は明日からやけど。」

「……お風邪でもひかれたんですか?3日も休んでたなんて。それに、無精ひげ。」
指摘されて、顎に手をやった。
なるほど、チクチクする。

「あー、電池切れただけ。」
「だけ、って……ひどい顔してますよ?」

ひどい顔?
窓に映った自分を覗き込む。
痩せたな。
いや、やつれたのか?
目がいつも以上に落ち窪んで見える。

「そういや、酒しか飲んでないかも。」
いただいたお節料理は両親に回したし、実家でも日本酒しか飲んでなかった気がする。

なっちゃんは泣きそうな顔になった。
「お身体、大切にしてください。」

何だ、それ。
大きなお世話。
曖昧に返事して、また銀のスプーンを磨く。

「……まだかかりますか?」
「いや。もうほとんど終わり。」
「一緒にお買い物して帰りませんか?……ご迷惑でなければ、章(あきら)さんの食べたいもの、作りますよ?」

思わず顔を上げた。
「普通の飯、食いたい。ご飯と味噌汁とおかず。なんでもいい。」

……口から勝手に欲望がほとばしった。

なっちゃんは目をパチクリさせてから、ほほ笑んでうなずいた。
「わかりました。じゃ、スーパーで食材買って帰りましょう。」
やっぱり、既に胃袋をつかまれてるよな、俺。

スーパーでは結局、鯵の一夜干しと油揚げと葱を買った。
「あとはお家の在庫で。たぶん色々入ってるんでしょ?」

「まあ。……でも3日間放置したから、傷んだかも。」

なっちゃんは、大丈夫大丈夫とニコニコしていた。
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