カフェ・ブレイク
恐る恐る電話に出た。
『……夏子さん……すみません……私は……』

夫は重い口調でやっとそう言って、そのまま絶句してしまった。

なに?
……え?……泣いてる?
ええっ!?
何があったの?

「栄一さん?どうしたの?今、どこ?」
要領を得ない夫に、たたみかけるようにそう聞いた。
『今、警察を出ました。……追突してしまいました。』

え?

えーと……栄一さんが追突されたのは、昨日の朝。
で、今朝は自分が追突事故を起こしてしまったってこと?

「それで、お身体は?栄一さんもですけど、お相手のかたとお車は?」
『……大丈夫です。スピードも出ませんでしたし、車もほぼ無傷でした。念のために病院に行かれましたが特に重篤な症状はなさそうです。』
「よかった……。」

……でも、じゃあ、夫はなぜそんなにも落ち込んでるの?
そりゃあ、連日の事故はショックだろうけど……泣くほど?
じっと耳を傾けていると、夫がポツリポツリと吐露した。

『すみません。事故そのものは軽く済みましたが、私はこれでもう将補以上にはなれないでしょう。1佐にもなれないかもしれない……もう……』
それ以上夫は続けられず、受話器の向こうから押し殺した嗚咽が聞こえてきた。


階級制組織内で切磋琢磨しているヒトにとって、出世の道が閉ざされるということがどういうことなのか……私はよくわかっていなかった。
いや、わかったところで、価値観の違いが明確になっただけで、一切の同調はできなかっただろうと思う。

しかし、この時、私は嘘でも夫と共に嘆き悲しんで励ましてあげるべきだったのだろう……本来は。
無論、微塵もそのつもりはない。
そもそも、肩書きにこだわる意味がわからない。
クビになるわけでなし、頂点に立てなくたっていいじゃない。

「別にいいじゃないですか。たとえ栄一さんが万年平社員でも、私はかまいませんよ?」
私の言葉は夫にどんな風に突き刺さったのだろうか。
……正確にはわからないけれど、たぶんコレが亀裂になったと思われる。

『そうですか……』
夫は淋しそうにつぶやいて黙りこくってしまった。

「それより栄一さんのお身体が心配です。栄一さんも病院で検査を受けられたほうがいいんじゃないですか?」
『いえ、それには及びません。では、行って参ります。』

そう言って、夫は電話を切った。
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