カフェ・ブレイク
ありがとう……と言おうとしたけど、先に夫が切り替えて明るい口調で聞いてきた。

『それではすぐに部屋を探します。どのあたりがいいか、ご希望ありますか?夏子さんが便利なところを仰ってください。』

……急いでる?
私の気持ちが変わらないうちに?

「えーと、世田谷は高そうなので杉並区か調布市か狛江市と思ってたのですが、栄一さんは北区に通われるなら、杉並区のほうがいいですね。」
『ありがとう。わかりました。近々、物件を見に行くことになりますが、ご一緒に行きますか?』

少しためらってから、無言でうなずいて……慌てて声を出した。
「はい。行きます。めぼしいところが見つかりましたら、お誘いください。」
『では、また連絡します。……夏子さん、本当に、ありがとう。』

電話を切ってから、私は改めて会話を反芻して首をかしげた。
何か……夫の都合よく言いくるめられた?私。

この微妙な気分のまま話が進められて、全てお膳立てされていく感じ……結納から結婚までの時の流れと同じだわ。
……ま、いっか。



春が来た。
私と夫は、初めての結婚記念日に離婚届を提出した。
晴れて私は郡(こおり)姓から大瀬戸姓に戻った。

そして、今日も元夫……栄一さんと私は一緒にご飯を食べている。
「これは……じゃこの佃煮ですか?美味しいですね。」
栄一さんは炊きたての白ご飯と一緒にかっ込みながらそう言った。

「イカナゴのくぎ煮でーす。玲子(れいこ)さんが送ってくれたの。お気に入りの割烹のモノですって。」
……本当は自分で炊きたいけど、イカナゴは鮮度との勝負たから、神戸にいないと無理。
こうして口に入れられるだけで、幸せ。

玲子さんに、逢いたいなあ……。
この状況、呆れられちゃうかしら。
我ながら……変なことになったもんだわ。

「では、いってきます。今夜は少し遅くなります。」
「夕食は、いらないんですか?」

そう聞くと、栄一さんは遠慮がちに言った。
「もし、ご迷惑でなければ、お茶漬け程度のものをお願いできますか?」
「わかりました。」

夫婦でなくなってからの栄一さんは、同居人としてはすこぶる優良で好ましい。
お行儀がいいし、調子にのらないし、いつも穏やかで優しい。

本当に、栄一さんの実家の影響さえなければ、私たちはずっとうまくやっていけたのかもしれない。
……て、すっかり栄一さんに洗脳されてるなあ、私。
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