君色のソナチネ
そして今日、とうとうコンクールの本選が行われる。
純怜から昨日来たメールには、
''今まで見守ってくれてありがとう。
申し訳ないけど、明日の本選は観に来ないでほしいの。
最後の最後で、我儘いってごめんなさい。''
そう書かれていた。
だいたい予想はしていた。
しかし、何を言われても俺は純怜の演奏を聴きに行くと決めていた。
最後まで見守るのが俺の役目だ。
辛くてきつくて大変なこの状況での彼女の演奏を聴いておく事で、この先、彼女に助言をする事が出来るかもしれないとも思う。
''了解。
ここまで踏ん張ってきた事を、今の自信にしてほしい。''
罪作りな事をしたと思う。
了解しておきながら、俺は彼女の演奏を聴くのだからな。
それに、自信を持てと言うのも罪な事だと思う。
だが、今の彼女に、''頑張れ''と言うほど無責任で無神経な言葉はないと思っての、あえての選択だ。
日本一の国際コンクール。
出場者は、国籍不問。
世界中の同年代の''ピアニスト''と言っていいほどの天才、努力家の集まるコンクール。
その本選。
当然ながら、有料の観覧であるにもかかわらず、客席は、審査員席の周辺を除いては満席になっている。
1人、また1人と、演奏が終わる。
終わるほどに純怜の演奏が近づく。
演奏は繊細で丁寧、楽譜に忠実。
それでいてドラマティックで個性的。
それぞれが演奏するピアノからは、今までの思い、鍛錬、魂が全て伝わってくる。
それぞれの演奏者が、一瞬でそれぞれのオーラを振りまき、自分の雰囲気でホール全体を包み込む。
観客が心打たれるのは、必須の心理だろう。
''気紛れな音楽の神よ、彼女が今までやってきた事を天からずっと見ていたのでしょう。
どうか、30分のプログラムの間だけです。
今までの成果を十分発揮出来るように、守ってくださいませんか。''
心の内で願う。
''それが最悪の舞台になったとしても、彼女の心だけは守ってほしい。
彼女の心が壊れる事があっては、ピアノを弾けなくなる。
彼女がピアノを弾けなくなる事は、クラシック音楽界において、結構な損失になると思うぞ。''
そう、少し脅しを入り交ぜながら。
とうとう純怜の順番がくる。
純怜の名前が呼ばれた瞬間、会場がざわめきたつ。
そのざわめきは、そのまま期待度を表している。
期待はときにプレッシャーに変わる。
そのプレッシャーを、純怜は今まで跳ね返してこれた。
今回も跳ね返す事ができるはずだ。
一抹の不安を無理やり言い切ることで書き換える事しか今の俺には出来ない。
純怜はもっと、緊張とプレッシャーで不安だろうに。
頑張れ。
皮肉にも、今彼女にとって一番苦しいであろう言葉しか出てこず、呟きながら自分の拳を握りしめ、下を向いたまま、目を瞑り応援するしか方法がなかった。