たまごのなかみ
初恋
おや、どうされた? 眠れませぬか。
無理もありませぬ、このような国境(くにざかい)の山中で迷われていたのですから、不安もありましょう。
朝までまだまだ刻(とき)はあります故、それでは一つ、この地にまつわるお話でもお聞かせ致しましょうか。
あれは、そう。
少し東の小さな藩のことです。
お殿様には若君と姫君がおられました。
通常で行けば殿の跡取りは問題なく若君となりましょう。
が、若君は少々お身体が弱く、そこに目をつけた殿の弟君が、己の子を推し立ててきたのでございます。
姫君とその子を娶せることによって、己が実権を握るつもりでございました。
殿の弟君と殿の重臣は昔から対立しておりました故、そうはさせじと重臣らは殿の遠縁の子を推し出しました。
あとは良くある家督争い。
ただ、弟君は気性の荒いお方でございました。
あまり上手い策士もおられませなんだ。
一気に殿の家族を滅ぼすという暴挙に出てしまったのでございます。
弟君は殿とその奥方を、たちまち血祭りにあげてしまいました。
若君を守ろうとした重臣も皆討ち果たし、若君もあえなく凶刃に散りましてございます。
さて姫君ですが、姫君には強い護衛の者がついておりました。
身分は低く、単なる馬廻り役の息子でありましたが、幼い頃より剣を学び、若君の剣術指南役にも引けを取らぬほどの遣い手でありました。
殿に忠実であった重臣の一人、古津賀様は、姫君を隣の国に逃がすことを決め、この若者を含めた六人で、密かに城を脱出したのであります。
姫君の輿の傍には、若者がぴたりと寄り添っておりました。
このとき、姫君の胸にはどういった想いがあったと思われますか?
不安? 恐れ?
いえいえ、そうではありませぬ。
姫君は、ちょっとした期待を胸に抱いていたのでございます。
お家再興?
……ほほ、殿方はそうお思いになられるのでしょうね。
けれども姫君はまだ十五。
もちろん武家の何たるかは教わってきましたが、そんなものより己の感情のほうが強いものでございましょう?
下世話な物言いをすれば、欲、というのですか。
姫君は、このままお家がなくなれば、輿に寄り添う若者と一緒になれるかもしれぬ、との想いがあったのでございますよ。
腕の立つ若者は、時折姫君の護衛として、行動を共にしておりました。
身分の開きが大きい故、僅かも触れ合ったことなどありませぬが、惹かれ合うのも自然な成り行きでありましょう。
一国の姫君と馬廻り役では天と地ほどの差がございます。
惹かれ合っても結ばれることなどなかったのでございますが、今までは越えられなかったその壁が、姫君の目には、まさに今、崩れ去ろうとしているように見えたのでございます。
しかし現実は、そう甘くございませぬ。
追っ手がたちまち追いついてきたのでございます。
もう少しで国境というところ、腕に覚えのある若者は、姫君を逃がすため、その場で足を止め、刀を抜きました。
若者と、あと二人が追っ手に斬り込み戦ってくれたお蔭で、姫君は国境を越えることが出来ました。
しかし逃げ延びたはずの姫君も、結局は匿われた大名に裏切られ、あえなく最期を迎えることとなったのでございます。
……ああ、少し喋り過ぎて疲れてしまいました。まだ喉が痛むのです。
この傷ですか? 懐剣で突いたのですよ。
でも女子(おなご)の力では、一気に引き斬ることが出来ず、苦しいものでありました。
あれからわたくしは、あの方が討たれたという国境で、ずっと待っているのです。
……ええ、ここですわ。
*****終*****
無理もありませぬ、このような国境(くにざかい)の山中で迷われていたのですから、不安もありましょう。
朝までまだまだ刻(とき)はあります故、それでは一つ、この地にまつわるお話でもお聞かせ致しましょうか。
あれは、そう。
少し東の小さな藩のことです。
お殿様には若君と姫君がおられました。
通常で行けば殿の跡取りは問題なく若君となりましょう。
が、若君は少々お身体が弱く、そこに目をつけた殿の弟君が、己の子を推し立ててきたのでございます。
姫君とその子を娶せることによって、己が実権を握るつもりでございました。
殿の弟君と殿の重臣は昔から対立しておりました故、そうはさせじと重臣らは殿の遠縁の子を推し出しました。
あとは良くある家督争い。
ただ、弟君は気性の荒いお方でございました。
あまり上手い策士もおられませなんだ。
一気に殿の家族を滅ぼすという暴挙に出てしまったのでございます。
弟君は殿とその奥方を、たちまち血祭りにあげてしまいました。
若君を守ろうとした重臣も皆討ち果たし、若君もあえなく凶刃に散りましてございます。
さて姫君ですが、姫君には強い護衛の者がついておりました。
身分は低く、単なる馬廻り役の息子でありましたが、幼い頃より剣を学び、若君の剣術指南役にも引けを取らぬほどの遣い手でありました。
殿に忠実であった重臣の一人、古津賀様は、姫君を隣の国に逃がすことを決め、この若者を含めた六人で、密かに城を脱出したのであります。
姫君の輿の傍には、若者がぴたりと寄り添っておりました。
このとき、姫君の胸にはどういった想いがあったと思われますか?
不安? 恐れ?
いえいえ、そうではありませぬ。
姫君は、ちょっとした期待を胸に抱いていたのでございます。
お家再興?
……ほほ、殿方はそうお思いになられるのでしょうね。
けれども姫君はまだ十五。
もちろん武家の何たるかは教わってきましたが、そんなものより己の感情のほうが強いものでございましょう?
下世話な物言いをすれば、欲、というのですか。
姫君は、このままお家がなくなれば、輿に寄り添う若者と一緒になれるかもしれぬ、との想いがあったのでございますよ。
腕の立つ若者は、時折姫君の護衛として、行動を共にしておりました。
身分の開きが大きい故、僅かも触れ合ったことなどありませぬが、惹かれ合うのも自然な成り行きでありましょう。
一国の姫君と馬廻り役では天と地ほどの差がございます。
惹かれ合っても結ばれることなどなかったのでございますが、今までは越えられなかったその壁が、姫君の目には、まさに今、崩れ去ろうとしているように見えたのでございます。
しかし現実は、そう甘くございませぬ。
追っ手がたちまち追いついてきたのでございます。
もう少しで国境というところ、腕に覚えのある若者は、姫君を逃がすため、その場で足を止め、刀を抜きました。
若者と、あと二人が追っ手に斬り込み戦ってくれたお蔭で、姫君は国境を越えることが出来ました。
しかし逃げ延びたはずの姫君も、結局は匿われた大名に裏切られ、あえなく最期を迎えることとなったのでございます。
……ああ、少し喋り過ぎて疲れてしまいました。まだ喉が痛むのです。
この傷ですか? 懐剣で突いたのですよ。
でも女子(おなご)の力では、一気に引き斬ることが出来ず、苦しいものでありました。
あれからわたくしは、あの方が討たれたという国境で、ずっと待っているのです。
……ええ、ここですわ。
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