それだけが、たったひとつの願い
 相馬さんからこのマンションを借りることになってからというもの、私はキッチンやバスルームなどの共有スペース以外は、自分に与えられた寝室とリビングにしか足を踏み入れていない。

 ほかの部屋に入ってはいけないと忠告されたわけではなく、むしろ自由に使っていいと許可をもらっていたけれど、私の中に遠慮があり、用事もないのにあちこちむやみに出入りするのはさすがにためらわれた。
 だからここの間取りすら未だに詳しく知らなくて、いったい何部屋あるのだろうと、ふと疑問が浮かんだ。

 ジンがいつも着替えていた奥の部屋がどうなっているのか興味はある。
 服や物が散乱したままで、とんでもなくひどい状態なのではと懸念したが、業者が清掃してくれているからそれはないだろう。

 だけど、本当にここはモデルルームなんだろうかと少なからず私は疑っている。
 たしか相馬さんはこの部屋を売る気はないのだと言っていた。
 姉や私に気を遣わせないためにモデルルームを装っただけで、本当は相馬さん個人が所有しているマンションなのかもしれない。

 そんなことを考えながら思い切ってジンが使っている部屋の扉を開けてみた。
 中にはさほど物はなくて、敷いてあるラグの上にいつもジンが部屋で着ていた服が畳んで置いてあり、それを見た瞬間ぐっと胸がこみあげた。
 懐かしさや、寂しさや、よくわからない感情がごちゃ混ぜになって押し寄せる。
 ジンを思い出しただけで、どうしてこんな気持ちになるのだろう。


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