ビタージャムメモリ
「これが姉さんの再婚相手だ」
「すげ、超大手じゃん」
「その第三事業部というのは、クラシックレーベルを出しているところだ。そこのプロデューサーらしい」
へー、と歩くんが名刺の裏表を確かめる。
私にも見せてくれたので覗くと、それこそ知らない人はいないであろう大手のレコード会社だった。
「で?」
「その相手のほうが、お前に興味があるらしい」
「バイなの?」
「まじめに聞け。お前の受賞歴も知ってたし、コンクールの演奏もチェックされてた。国際規模じゃないものも、ほぼ全部だ」
歩くんの眉が、訝るように寄せられる。
「早い話が、デビューの確約こそできないが、そこにたどり着くまでに、すごく有利な道を敷いてあげるよって提案だ」
「アホらし、どうせ条件つきだろ?」
「お前が姉さんと彼の息子として、一緒に暮らすならと」
「おととい来いっつっといて」
まったく興味なさそうに、名刺をテーブルの上に放り投げた歩くんに対し、先生は何も言わなかった。
話は終わったとばかりにコーヒーに口をつけた歩くんが、それに気づいて、眉を上げる。
「…まさか、"あり"だとか思ってんじゃねーよな、巧兄」
その静かな非難の声に、先生は冷静に返した。
「お前にとっての、チャンスだと思ってる」
「俺があんな女と暮らすわけねえだろ、死んでも嫌だよ」
「そんな感情レベルで棒に振っていい類の話じゃないんだ、すぐに決めろとは言わない、一度じっくり考えてみろ」
歩くんは、愕然と目を見開いて、先生を見つめていた。
ソーサーに戻そうとしたカップが、カチカチと音を立てる。
「…出てけってこと」
「そういうことを言ってるんじゃない」
「言ってんだろ、俺がそんな方法でデビューとか、したいと思ってると本気で考えてんの?」
「聞け、歩。お前はもう18になる。誰と暮らしてるかなんて、さほど問題にならない年齢に来てる。なにも親子ごっこをしろって話じゃ…」
「問題だよ、俺にとっては!」
歩くんがテーブルを叩いた。
握りしめられた拳が、震えてる。