ビタージャムメモリ
「香野さん」
はい、と振り返ってから、息を呑んだ。
巧先生が、廊下をこちらにやって来る。
「すみません、お呼び止めして。先日の記者さんから、補足のデータの提供を求められていまして」
「あっ、では私のほうからお送りしておきます」
「お願いできますか」
そう言ってスーツの胸ポケットを探ったので、何か渡されるのかと手を差し出したら、出てきたのはUSBメモリだった。
「特に機密ではないので、このまま展開いただいて問題ありません」
「お預かりします」
開いた手のひらに、小さな機器が載せられる。
物を手渡すという行為が、突然、とても親密なものに思えて、私は内心、どぎまぎした。
「お願いできてよかった。私のほうからお送りするのが正しいのか、判断つきかねて」
「どうぞ広報部をお使いください。直接やりとりいただくと、収拾がつかなくなって、ご負担になりますから」
「助かります、ありがとう」
微笑むとまではいかないけれど、先生の目元が、少しだけ和らぐ。
なんとなく一緒に廊下を歩きながら、そっと尋ねてみた。
「…あの、今日はどうして本社に?」
「打ち合わせです、発売に向けて、生産技術とマーケと、それから購買やらと、いろいろとすり合わせがあって」
「発売、ですか!」
すごい!
先般、技術を発表した段階では、発売は全く計画に入っていなかったはず。
新しい技術が、商品に搭載されて販売されるには、コストや資材の安定した調達、販売ルートの確保など、検討事項が山積みだ。
いつの間にか、それをクリアすべく、社内が動き出していたのだ。
「いや、まだまったく検討段階というステージで。ようやくプロジェクトチームを立ち上げることが許されたんですよ」
「それでも、すごいです、先生の研究で、救われる人がたくさんいると思います」
「先生?」
バカ。
さっそく調子に乗って、ボロが出た。