ビタージャムメモリ
「こんにちは。歩に会いに行くの、それとも巧にかしら?」
歩くんのお母さんは、乗って、とも言わずにドアを開け、私が動くのをにっこり笑って待っていた。
「私に言われましても…」
「歩と仲がいいんでしょ、なら説得してちょうだいよ」
「歩くん自身が決めることだと思うので」
「いい話だと思わないの?」
ソファの間を行ったり来たりしながら、お母さんが声を上げる。
かすみさんというのだと今頃知った。
半分拉致のような形で車に引っ張り込まれ、連れてこられたのは、かすみさんが泊まっているホテルの、何やら豪華な部屋だ。
寝室の他に客間のような別室があって、そこに通された。
「いい話なら、条件なんてつけずにあげたらいいのでは」
「あなたも、巧みたいなこと言うのね!」
誰だって言うと思います…。
いれてもらった紅茶を飲みながら、落ち着きなく歩き回るかすみさんを見上げた。
綺麗な人だ。
先生のお姉さんであるなら、40歳前後だと思うんだけど、肌も髪も爪もつやつやと光っている。
いかにも今年風なニットとタイトスカートが、すらりと細い身体に似合っていて、無理な若作りをしているわけでもないのに、そんな年齢には全然見えない。
少なくとも歩くんみたいな大きな子供のいるお母さんだなんて、誰も思わないと思う。
言いようによっては、生活感がない。
やがて彼女は、対面のソファにすとんと座った。
なめらかにウェーブのかかった髪を後ろに跳ね上げて、じろりと私を見る。
「母親が息子と暮らしたいと思って、何が悪いの」
「…ほとんど育ててないのに母親と名乗ることが、受け入れられづらいんだと…」
何をどこまで言って許されるのかわからず、つい小声になる。
かすみさんの眉が吊り上がった。
「育てたわよ! 話も通じない、自分じゃトイレも食事もできない赤ん坊の頃から、生意気盛りの6歳まで」
「でも、そのあとは…」
「だって、みんな私のやり方じゃダメだって責めるんだもの。もっとうまく育てられる場所に預けて何が悪いの」
「悪いとか悪くないとかいうお話では」
「私だって自分に問題があることくらい、わかってたわよ、でも私はね、自慢じゃないけど自分が一番可愛いの。母に預けたのは、それが歩のためだと思ったからよ」