ビタージャムメモリ
「どうぞ」
「ありがとう」
拾い上げて渡すと、何事もなかったかのようにそれをかけて、先生はソファから立ち上がった。
キッチンのほうへ行き、ガスレンジの火をつけると、身を屈めてそれを煙草に移す。
深々と一服してからシンクに腰を預け、こちらを向いた。
目が合うと、ちょっと意味ありげに目を細めてみせる。
煙草を挟んだ指で隠れている口元は、たぶん微笑んでいるんだろう。
私は今頃、全身が緊張から解かれて燃えるように熱くなっていた。
顔も熱い。
たぶん今さらながら真っ赤だ。
人間、極限までドキドキすると、赤面する余裕もなくすらしい。
さっきまでの姿勢から動くこともできず、ソファに半端な角度で片膝を乗せたまま、いまだにおかしなことになっている心臓をなだめた。
水から上がったみたいに、息が弾んでいる。
なのに、とちらっと横目でキッチンのほうを見て思う。
先生は、なんていうか、余裕だよね…。
あれが大人ってものなんだろうか。
「遅くなる前に帰りなさい。車で送ってあげられないから」
「はっ、はい」
私はその言葉に、酔っ払っているのも忘れて勢いよく立ち上がり、あえなく床に崩れ落ちた。
なんだかもう、腰が立たなくなっている。
これ、たぶんお酒のせいだけじゃない。
先生がさすがに慌てた様子で、大丈夫? とこちらに来た。
「大丈夫です、すみません」
「駅まで一緒に行こうか?」
「いえっ、もうほんと、勘弁してください」
「勘弁って」
何言ってるの私。
きょとんとしている先生を押しのけるようにしてバッグとコートを取り、ふらふらと玄関に向かう。
靴を履いているところへ、先生が来た。
「これを歩に渡してもらえないかな」
「はいっ」
受け取ったのは、小さな箱。
大事にバッグにしまったところで、廊下の冷気のおかげでくしゃみが出た。
それを見た先生が、どこかへ消えたと思ったら、マフラーを手にして戻ってくる。
私の贈った、グレーのマフラー。