ビタージャムメモリ
生鮮食品がほとんどない中、歩くんは冷凍庫から、肉や下処理された野菜を取り出しては、次々レンジに入れて解凍していく。

先生が、空になったコップを私の使っている流しに置いた。



「無理に水場に連れていったところで、水を飲むのは馬自身だ」

「何それ?」



忙しく動く歩くんを見つめて微笑む。



「でも、それでいいのか、ずっと迷ってた」

「巧兄も迷うの?」

「おおいに迷う」



へえ…と歩くんが意外そうに見返した。

その黒髪を、先生の長い指がくしゃっとかき回す。



「ひとりでよく頑張ったな」



歩くんの、瞳が揺れた。



「俺…俺、ごめん、巧兄にひどいこと言った、弓生んち行く前」

「気にするな」

「でも」



私は、うつむいてしまった歩くんの手からお鍋を受け取り、パスタをゆでるため火にかける。

並べられた材料を見て、スープも作れるかもと思ったので、小さなお鍋にも水を張った。



「お前の言ったことも正しいんだよ。環境が許しさえすれば、俺は大学で音楽を学びたかった。でも別に挫折したとも思ってない」

「うん…」

「どちらかしか選べない時には、片方を捨てて当然だ。それは妥協でもなんでもない。お前も、わかったろ」



うん、と言う声は涙に濡れて、そんな歩くんの頭を、先生が力づけるみたいに抱き寄せる。



「でもお前の口から大学に行きたいと聞いた時、嬉しかった。理解のあるようなこと言ったけど、やっぱり音楽を続けてほしかったんだ」

「あの、それなんだけど、勝手にごめん、学費とかもあんのに」

「子供がそんなこと気にしなくていい」

「今度は子供扱いかよ」



文句を言われて苦笑する先生と、歩くん越しに目が合った。

ちょっと眉を上げてみせる先生に、うなずき返す。

はい、苦心した時期があったのは内緒ですよね、わかってます。

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