ビタージャムメモリ
「意外とノリいいな、弓生」
「どこか入ろうよ、お昼食べてくる時間なかったの」
「俺も食ってない」
もうお昼時は過ぎているので、どこでも入れるだろう。
近さ優先で、目についた最初のカフェに飛び込んだ。
「面白そうなバンド」
「俺はまあ、客演だけど」
「私、このへん行ったことないの、楽しみ」
歩くんが月末に出るというライブの会場があるのは、サブカルの街と言われるところだった。
ライブハウスや小劇場が多いのは知ってたけど、縁はなかった。
「巧兄と来いよ、そのチケットでファーストドリンクも無料だし」
「そういうものなんだ」
へえ、と物珍しい思いで、マップの書かれたチケットを眺める。
歩くんはこの後もレッスンらしく、小奇麗なシャツとパンツに、バイオリンケースを提げている。
それで眼鏡をしているので、どこかのお坊ちゃんにも見える。
「梶井さんも誘ってあげた?」
「だって向こう、海外だぜ」
「そっか」
さすがにこのために来日というのはきついか。
いや、むしろ本当に飛んできてしまいそうで怖い。
「3月には帰ってくんだってさ、都内で住むとこ探してるって」
「すぐ近くに越してきたりして」
「それだけはするなって言っといた」
「メールしてるの?」
「しょっちゅう来んだよ、返事すんのは5回に1回くらいだけど」
どれだけ息子好きなのか。
まあ、これまで自分に息子がいるなんて思いもしていなかったろうから、してあげたいことが溢れているに違いない。
裏通りを見下ろすカフェの窓際で、歩くんはぺろりと完食したパスタのプレートを前に、外を眺めている。
「お母さんとは、何か話した?」
「話すわけねーだろ。いっそあの女が海外行って、そのまま戻ってこなけりゃいいのによ」
「悪い人じゃないのにね…」