ビタージャムメモリ
憎まれ口を叩きつつ、じゃあなと手を振って歩くんは校舎へと駆け戻っていった。

昇降口に、同じ制服を着た男の子が顔を出す。

歩くんを探しに来ていたんだろう、ふたりは合流して、ガラス戸の向こうに消えていった。



「心配なさそうですね」

「まあ、その気になればいくらでも社交的になれる奴だし」



そう言いながらも、先生もほっとしている様子だ。

久し振りに学校というものの空気に触れた私は、緑の多い敷地内を興味深く観察してから、門を離れた。



「新しいポジションて、どうですか」

「うーん、まだ慌ただしくて、平常運転に至ってないんだけど、見る範囲が増えたのにやることが減って、奇妙な感じだな」

「これまでより忙しくなくなるってことですか?」

「いや、俺が手を動かせる範囲が狭まったって意味。これまでは少人数だったせいで、なんでも全員でやってたから」



なるほど。

ただの突撃とはいえ、一応保護者的な立場として綺麗めの恰好で来た私と似た考えなのか、先生はジャケットスタイルだ。

春の風にあおられた髪をかき上げる仕草に、くつろいだ気分が表れている気がして、意味もなく嬉しい。


この四月から、先生は職掌範囲が広がった。

ひとつのグループだけを見ていた立場から、複数のグループを統括する立場に上がったのだ。

30代半ばでそのポジションに就くのは珍しく、それが発表された時は、氷の眞下の名前がまた本社内を駆け巡った。

その直前の三月に社長賞を授与され、時の人感が強まったところだったから、なおのこと。



「プロジェクトのほうは…」

「それは今まで通り、俺がゼネラルマネージャーとして見る。けどやっぱり薄くなるから、その分、柏のポジションを引き上げた」

「若手もどんどん投入されるでしょうし、だいぶ変わりますね」

「いずれはこれだけで一部署になるかもね」

「他部署の事務所を間借りしてた時代もあったと思うと、感無量ですね」



その話を聞いた時にはびっくりした。

無茶振りするだけしておいて、会社もどれだけ無責任で薄情なのよ、と腹が立ちさえした。



「まあ、経緯はなんでもいいんだよ、お客様にちゃんと届けば」



なのに先生は、こんなふうに笑っている。

それでいて無欲なわけでもない。

むしろ自分たちの製品については強欲ともいえる熱意と粘り強さを持っていて、それがあったから今の地位を手に入れられたんだろうに。

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