ビタージャムメモリ
『眞下さん、帰りがけにもう少し飲んでいきましょうよ』
『そうするか』
柏さんの提案にうなずいた先生を見て、私は今しかないと思った。
「マッカランがある」
「いいですね」
柏さんと、彼と年次の近い杉浦(すぎうら)さんというプロジェクトメンバーのひとりが嬉しそうに言う。
四名掛けのカウチ席で、彼らが隣り合っているため、すなわち私は、先生の隣にいた。
もう、何をするにも近すぎて、身動きひとつに緊張する。
「俺も飲もうかな、香野さんもどうですか」
「マッカランて、なんですか?」
正直に問うと、スコッチです、と先生が笑う。
「よくそれで、この店を知ってましたね」
「知人に教わったんです、落ち着いて飲めるところをって」
「なるほど、とても気に入ったと伝えてください」
はい、と力強く返事をした。
歩くん、ありがとう、ありがとう!
「ねえ、香野さんて独身?」
「えっ、は、はい」
「そっかあ、いいなあ本社は、華やかな子がいて」
柏さんたちが、程よく酔った雰囲気でそんな話をしはじめた。
「…みなさんは、ご結婚は?」
「今残ってる面子は、全員独身です」
開き直ったように、グラスで自分たちを指す。
そこには当然、先生も含まれていた。
私はそんなことくらいで、胸が高鳴った。
ふいに先生が、失礼、と断って私の前に手を伸ばした。
テーブルの端にあった灰皿を取ったのだ。
鞄から煙草を出すと、くださいと素直にねだる柏さんに一本分けて、火をつける。