ビタージャムメモリ
コーヒーを飲むでもなく、カップを持ってただ揺らしながら、ぼんやりとそんなことをつぶやく。

『出てこられない?』と理由も言わずに私を呼び出した歩くんは、いまだにどうしてそんなことをしたのか言わない。

ただ電話の声が聞いたこともないくらい弱々しくて、会ったら会ったでやっぱり見たこともないほどわかりやすく落ち込んでいるので、私は心配になった。

明日は金曜日だし、最悪朝帰りになっても、一日くらい働ける。

なんだかよくわからないけど、つきあってあげよう。



「このあたりって、夜もこんなにぎやかなんだね、オフィスと高級マンションしかないと思ってた」

「夜は遊び場だよ、外国人も多いし」



で、どうして歩くんがここにいるの?

その答えを待っていると、歩くんも察したらしく、視線を落としてため息をつく。



「バイト先があったんだけど、さっきクビになった」

「バイトって…またクラブ?」

「まあ、近い感じ」



よほど大事なバイトだったのか、沈鬱に語る歩くんは、つつけば泣いてしまうんじゃないかと思えた。

この子、ほんとにまだ、17歳なんだ。



「なんでクビになっちゃったの?」

「これ、見える?」



歩くんが顔を横に向けて、着ていた黒いドレスシャツの襟を広げてみせる。

露わになった白い首の後ろに、蝶と花の模様が描かれていた。

かなり大きな図柄らしく、絵の続きはシャツの中に消えている。

え、これ…。



「…タトゥー?」

「シールだと思う、こんなん入れられたの全然気づかなくて、バイト先で指摘されて、速攻クビ」

「それだけで?」

「あのクラブとは全然違う、厳格なとこだから。知らねーって言っても、自分の管理もできない奴はいらない、って終わり」

「あの、そもそも気づかないうちに入れられたって、どういうこと?」



ちょっとよくわからなくて、正直に訊くと、歩くんが久々に、あからさまにバカにしたような表情を浮かべた。



「そんなん、女に決まってんだろ」

「えーと、彼女ってこと?」

「違う、ただの女だよ、寝てる間にやりやがったんだ、くそ」



苛立たしげに舌打ちするのを見ていて、今度は、ほんとに17歳? と首をかしげたくなった。

先生、歩くんが外で何をしてるか、把握してるのかな…。

< 58 / 223 >

この作品をシェア

pagetop