ビタージャムメモリ
「どーやったら落ちんの、これ…」
「赤くなっちゃうよ、引っ掻いちゃダメだよ」
「あーもう、最悪…」
ついには顔を覆ってうなだれてしまう。
半分くらい自業自得な気がしないでもないけど、ここまで落ち込んでいるのを見ると、かわいそうになってくる。
「そんなに好きなバイトだったの」
「それもあるけど、巧兄のツテで入れてもらったとこなんだ。こんな形でクビとか、絶対がっかりさせる…」
…本当に巧先生のことが好きなんだなあ。
陥れられた身としては、言ってやりたいこともいっぱいあったはずなんだけど、こうしていると、そんな気も吹っ飛んでしまう。
たぶんこの子は、幼いくらいの純粋さで、ただ先生のことが好きで、一番そばにいたくて、誰にも取られたくないだけなのだ。
「ね、気晴らししようよ、つきあうから」
「だから飲もうと思ってお前呼び出したんじゃねーか、なのに酒はダメとか。これで気晴らしって何すんだよ、ずっと茶飲んでんの?」
「17歳に、お酒なんて飲ませられるわけないでしょ」
「じき18だよ」
「同じです!」
ちぇっとふてくされる。
もう、真夜中も近いこんな時間に出歩いてることすら、自分がこの年齢の頃を思い出すとあり得ないのに。
私は紅茶を飲み干すと、歩くんを引っ張って立たせた。
「歩こ、このへん詳しいなら、教えて」
「素面でかよー」
文句を無視してカフェを出た。
10月末の夜の空気は冷たくて、冬が近いのを感じさせる。
ネイビーのモッズコートを羽織って追いついてきた歩くんは、片手に長方形のケースを提げていた。
なんだろう、とそれを見つつ、とりあえずあてもなく歩きだすと、ジャケットの袖を引っ張られる。
「あんまり離れんな、ここらは女ひとりだと危ないぜ」
「こんな綺麗な道なのに」
「そりゃ大通りだけ。一本入ればやばい奴がいっぱいいるよ」
そうなのか。
呼び出されたのが、地下鉄の駅を出てすぐのバーだったのは、そういう理由からなのかもしれない。
「あそこ、こないだ不倫がばれた芸能人の豪邸」
「えー!」
思ったとおり歩くんは、界隈に詳しかった。
危ないという路地にも足を踏み入れながら、タレントの誰それがよく来るレストランとか、隠れ家的なクラブなんかを教えてくれる。
早絵あたりが好きそうな情報なので、一緒に来ることがあれば教えてあげようと、私はふむふむと熱心に聞いた。