ビタージャムメモリ
そうしているうち、裕福そうな邸宅が並ぶ一角の路上に、淡く光るランタンがぽつんと置かれているのが見えた。

たぶん看板がわりなんだろうけれど、何も書かれていない。



「あれ、何?」

「あれは…」



なんでか歩くんが言葉を濁した時、ランタンのそばの建物から男の人が現れた。

バーテンみたいな服装のその人は、煙草に火をつけながら周囲を見回して、私たちを見つけ、目を見開く。

彼がつかつかとこちらにやって来たので、私はびっくりした。



「歩、お前、何やってる」



え?

男の人は私を無視して、歩くんに詰め寄った。

見た感じ、30歳くらいの人だ。

歩くんは逃げようとしていたようだけれど、腕をつかまれてしまい、苦々しい顔で立っていた。



「早く準備しろよ、お客様が待ってるんだぞ」

「オーナーにクビにされたんだよ、聞いてないの?」

「クビって、なんで」



歩くんがさっきと同じように、首のタトゥーを見せる。

男の人はそれを覗き込んで、あぜんとした。



「なんでこんなバカなことした」

「俺じゃねーよ、勝手に入れられたの」

「シールか、それ? ならガムテである程度剥がれるはずだ。来いよ、落としてオーナーに頭下げに行こう」

「いいよ、もう…あの人、俺のこと鬱陶しがってるだろ」

「そんなふうに取るな。ひねくれてて変わり者ってだけだ。俺も一緒に謝ってやるから」



謝る、と言われると反発したくなるんだろう、歩くんが渋い表情になって、でも、とごねた。

私はその手をつかんだ。



「謝りに行こう、歩くん」

「はあ?」

「説明したら許してもらえるかも、行こう」

「別に、許してもらわなくても」



わからないことを言う彼に、あのねえ、と詰め寄る。



「大人になったらね、自分が悪くなくても頭下げなきゃいけない場面なんて、たくさんあるの。下げとけばいいんだよ、そんな時は」

「いきなり説教かよ」

「何が嫌なの? 頭くらい下げたって、別に何も減らないよ。でもここで働けなくなっちゃったら、何か減るんじゃないの、歩くん」


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