ビタージャムメモリ
ここは先生の家の、歩くんの部屋だ。

なぜ私がここにいるかというと、運び込まれた病院で一瞬だけ意識を取り戻した歩くんが、私の手を握って離してくれなかったからだ。


体温が下がりきっていた歩くんは、処置後も歩ける状態ではなく、私たちはクラブのすぐ近くに住んでいた大助さんの車を借りてここまで帰ってきた。

部屋を温めて歩くんを寝かせた後、先生は再びその車を返しに行き、タクシーで戻ってきたところだ。

夜の2時。



「歩は」

「ずっと寝てます、でも顔色はよくなってきたかと…」



先生はベッドに腰を下ろすと、歩くんの顔を覗き込んだ。

痣だらけの顔を、気遣わしげに指でなでる。

私はベッドの傍らの床に座って、歩くんに手を握られたまま、その様子を見ていた。



「手をかばったんだな」

「えっ?」

「顔はこんなだけど、手は綺麗だ。殴られても、腕でガードをしなかったんだと思う、指を怪我しないために」



言われてみれば、全身に打撲の痕があったのに、手だけが無傷だ。

先生は愛おしんでいるような、嘆いているような複雑な表情で、歩くんを見下ろしていた。



「歩は母親に、つまり僕の姉に、まともに育ててもらえなくてね」



見上げると、目が合った。

先生は私を安心させるように微笑んで、先を続ける。



「姉は奔放な人で、どこの誰ともわからない男と結婚して、歩を作るとすぐ離婚した。職を転々としながら歩を育てようとしたらしいけど、すぐ限界が来た」

「限界って…」

「体裁だけは整えられていたので、誰もおかしいと思わなかったんだ。実家に連れてこられる時も、歩は小綺麗で健康そうに見えてた」



どうして私に、そんな話を?

私のそんな疑問を、感じていないはずはないのに、それについては先生は触れず、また口を開いた。



「歩が6歳の頃、夏に帰省した僕は、花火大会に歩を連れていこうとした。ところが歩は、家を少し離れたあたりで、ぴたりと足を止めてしまった」


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