ビタージャムメモリ
「すっげ、人ってこんな一瞬で体温変わんの」
「せ、せ、洗面所、借りていい?」
「出て左のつきあたりだけど…あっ、おい」
ベッドから飛び降りて、教えられた場所を猛然と目指し、つきあたりの引き戸を開けて飛び込んだ瞬間、私は悲鳴をあげた。
洗面台の前に、歯ブラシをくわえた先生がいたからだ。
どう見たって、シャワーを浴びたばかりですという感じの姿で。
「うわっ…香野さん!?」
「ごめんなさい、ごめんなさい!!」
熱く湿った裸の背中に顔から突っ込む形になった私は、叫びすぎと立て続けの動揺のおかげで腰を抜かし、その場にへたりこんだ。
酸欠状態でくらくらする。
そこに歩くんが自室から出てきた。
「何やってんだよ、騒がしいな」
「歩、お前、俺が中にいるの、知ってたろう!」
「言う前にすっ飛んでっちまったんだもん」
かろうじて下着は履いていた先生も、さすがにうろたえている。
Tシャツをかぶりながら、大丈夫? と腰を屈めてくれたことで、よけいに私は動揺し、顔をほてらせながら後ろにずり下がった。
先生の、乾かす前の髪が下りていて、そのせいですごく年齢が下がって見えて、まるで講師時代の、巧先生そのままだったから。
「今起こしに行こうと思ってたんだけど」
「あっ! あの、ここから会場って、急いでどのくらいですか」
「電車のタイミングにもよるけど…1時間はかからないかな、でもまだ余裕あるよね?」
「それが…」
混乱に続く混乱で、私はたぶん、涙を浮かべていた。
「私、運営側なので…先生たちより集合早いんです」
「えっ」
沈黙が下りる。
先生が慎重に聞いた。
「…何時?」
「8時45分です…」
凍ったように黙る私たちふたりを眺めて、歩くんが無情にも言う。
「もう8時過ぎてるぜ」