性悪女子のツミとバツ
「それが、萌の答え?」
夕方に帰宅した彼に、出て行くと告げた。
驚いた顔をした後で、私のキャリーケースを見つめながら小さく呟いた彼に、私は「ええ」と返して微笑んだ。
決して涙がこぼれないように鏡の前で練習した笑顔は我ながら完璧だったと思う。
「どうして、急に?」
「このところ、一人で眠れるようになったから。もう大丈夫かなって。会社では会うこともあるかもしれないけれど、しばらくは今まで通りでいて。そのうちに、円満に別れたって噂を流すから。」
彼に何かを言わせないように、一気に話してから頭を下げる。
「今までお世話になりました。」
ひっそりとした部屋の中に、明るい私の声が響いた。
「うん、分かった。元気で。」
ベッドの中で何度も聞いた優しい声で、彼が別れの言葉を呟く。
自らが切り出す前に、別れを告げた私にひっそりと安堵しているのかもしれない。
それでも、この部屋で最後に聞いたのが、私が大好きなこの声でよかったと思えた。
私が貰っていた部屋の合鍵を渡すと、彼が自分のキーケースから私のアパートの鍵を抜いた。
差し出されたその鍵を、私は俯いたまま受け取った。
「さようなら。」
頭を上げてからすぐに彼に背を向けて玄関を出て行った私には、彼がどんな顔をしていたかは分からなかった。
さようなら。
ありがとう。
どうか、おしあわせに。
そっと祈りながら、すっかり慣れたマンションの廊下を抜けて、エレベーターに乗り込む。
淡々とした足取りで、電車に乗って、自宅アパートへと戻った。
ひっそりとした部屋に一歩足を踏み入れて、ようやく私の瞳から涙が一筋流れた。
慌てて涙を拭って、濡れたハンカチで目を冷やす。
真っ暗な部屋の中で、灯りも点さず。
眠ることのないベッドの上で。
私はただ朝までずっと、その冷たいハンカチを握りしめていた。