うそつきハムスターの恋人
「しずくちゃん、すっかり大人っぽくなって……」
ふたりが出ていくと、店長が口を開いた。
まるで一年に一度しか会えない孫娘に会ったみたいな顔で。
「お久しぶりです」
私は微笑む。
一年に一度しか会えない祖父母に会ったみたいな気持ちで。
「初めて会った時はまだ十八才だったものね。お化粧もしてなくて、真っ黒のおかっぱだったわ」
店長は懐かしそうに目を細めて言った。
「……お店を閉めて、もうすぐで一年が経つのよね。お店を閉めたあとね、もう私たちは長いこと働いたし、老後はゆっくりしようと思っていたのに、未だに言われちゃうの。メイズがなくなって寂しいとか、残念だとかね」
私の胸はちくりと傷む。
机の上に載せられた、店長のシワだらけの手をじっと見つめていた。
「あんまり言われるものだから、この人がもう一度やりたいなんて言い出してね。ちょっと話だけでも聞いてみようかな、と思ったら、トントン拍子に話が進んで、来年の秋頃にオープンできそうなんだけど……店長が決まらないの」
店長は手を組み替えた。
右手の薬指にはきれいなパールの指環をしている。
「いい人を紹介してくれなんて言いに来たんだけど、誰を紹介されても、この人はいや、この人もだめ、って言って結局しずくちゃんを紹介してもらうつもりだったの。そしたら最初からあなたを紹介してもらえたから、手間が省けたわ」
私は顔を上げて、店長の顔を見た。
店長はおどけた顔をしながら、肩をすくめる。
「……ダメかしら?」
「どうしてそこまで私を……?」
「だって、しずくちゃんはとてもメイズが好きだったし、メイズに来てくださるお客様のために、いつも一生懸命、考えたり工夫したり悩んだりしてくれたもの。あなたの笑顔がお店をいつも明るくしてくれてたのよ。あなたのファンがたくさんいたんだから」
店長は自信満々な顔でうなづいた。
「蒲田さんも水嶋さんもあなたがいいって言ったわ」
「蒲田さんはともかく……。その水嶋さんって人はあてになりませんよ。たぶん、適当に名前を出しただけですよ」
だって、なにも知らないもの。
私がメイズで働いているところなんて、見たこともないくせに。
「なぁに言ってるの、しずくちゃん」
店長はころころと笑った。
「しずくちゃん、水嶋さんはあのお店に何度も来てたのよ」
「え?」
夏生があの店に、来てた?
「最初はまだ水嶋さんが直営店の店長だったころね。蒲田さんからいい店だって聞いて来たんですって言ってたわ。しばらくして、スーパーバイザーになってからもちょくちょく来てた。でもね、あの人」
店長は何かを思い出したのか、くすくすと、おかしそうに笑う。
「いつも変装して来るのよ。眼鏡とかマスクとか。私服だったり、髪型を変えてみたり。どうして? って聞いたら、スーパーバイザーが来てるって知って、スタッフが緊張するといけないからって」
いつだったか、夏生が言っていた。
『 俺が行くことでスタッフがストレスを感じていたら嫌だなってずっと思ってたんだ 』
「角の席あったでしょ? 返却台の横のカウンター席。あそこに背を向けていつも座ってた。本を読んだり、ぼんやり考え事したり。それで帰り際私に言うの。『本当にこの店はいい店ですね。あの大澤さんって子はこの店の太陽みたいですね』って」
『この店の太陽』
夏生が、私のことをそんな風に言ってくれていたなんて。
胸にじんわりと温かいものが広がっていく。
「私も思ってたよ」
それまでずっと黙って聞いていたオーナーが急に口を開いた。
「しずくちゃんの声が店から聞こえてくると、それだけで元気になるんだ。しずくちゃんの笑顔がお客様をしあわせな気持ちにさせるんだよ」
店長の言葉が。
オーナーの言葉が。
夏生の言葉が。
胸に響いた。
それまで固く閉ざしていた扉から、少しだけ光がもれたような気がした。
「……少し考えさせてください」
私は店長とオーナーの顔を交互に見ながら、答えた。
ふたりが出ていくと、店長が口を開いた。
まるで一年に一度しか会えない孫娘に会ったみたいな顔で。
「お久しぶりです」
私は微笑む。
一年に一度しか会えない祖父母に会ったみたいな気持ちで。
「初めて会った時はまだ十八才だったものね。お化粧もしてなくて、真っ黒のおかっぱだったわ」
店長は懐かしそうに目を細めて言った。
「……お店を閉めて、もうすぐで一年が経つのよね。お店を閉めたあとね、もう私たちは長いこと働いたし、老後はゆっくりしようと思っていたのに、未だに言われちゃうの。メイズがなくなって寂しいとか、残念だとかね」
私の胸はちくりと傷む。
机の上に載せられた、店長のシワだらけの手をじっと見つめていた。
「あんまり言われるものだから、この人がもう一度やりたいなんて言い出してね。ちょっと話だけでも聞いてみようかな、と思ったら、トントン拍子に話が進んで、来年の秋頃にオープンできそうなんだけど……店長が決まらないの」
店長は手を組み替えた。
右手の薬指にはきれいなパールの指環をしている。
「いい人を紹介してくれなんて言いに来たんだけど、誰を紹介されても、この人はいや、この人もだめ、って言って結局しずくちゃんを紹介してもらうつもりだったの。そしたら最初からあなたを紹介してもらえたから、手間が省けたわ」
私は顔を上げて、店長の顔を見た。
店長はおどけた顔をしながら、肩をすくめる。
「……ダメかしら?」
「どうしてそこまで私を……?」
「だって、しずくちゃんはとてもメイズが好きだったし、メイズに来てくださるお客様のために、いつも一生懸命、考えたり工夫したり悩んだりしてくれたもの。あなたの笑顔がお店をいつも明るくしてくれてたのよ。あなたのファンがたくさんいたんだから」
店長は自信満々な顔でうなづいた。
「蒲田さんも水嶋さんもあなたがいいって言ったわ」
「蒲田さんはともかく……。その水嶋さんって人はあてになりませんよ。たぶん、適当に名前を出しただけですよ」
だって、なにも知らないもの。
私がメイズで働いているところなんて、見たこともないくせに。
「なぁに言ってるの、しずくちゃん」
店長はころころと笑った。
「しずくちゃん、水嶋さんはあのお店に何度も来てたのよ」
「え?」
夏生があの店に、来てた?
「最初はまだ水嶋さんが直営店の店長だったころね。蒲田さんからいい店だって聞いて来たんですって言ってたわ。しばらくして、スーパーバイザーになってからもちょくちょく来てた。でもね、あの人」
店長は何かを思い出したのか、くすくすと、おかしそうに笑う。
「いつも変装して来るのよ。眼鏡とかマスクとか。私服だったり、髪型を変えてみたり。どうして? って聞いたら、スーパーバイザーが来てるって知って、スタッフが緊張するといけないからって」
いつだったか、夏生が言っていた。
『 俺が行くことでスタッフがストレスを感じていたら嫌だなってずっと思ってたんだ 』
「角の席あったでしょ? 返却台の横のカウンター席。あそこに背を向けていつも座ってた。本を読んだり、ぼんやり考え事したり。それで帰り際私に言うの。『本当にこの店はいい店ですね。あの大澤さんって子はこの店の太陽みたいですね』って」
『この店の太陽』
夏生が、私のことをそんな風に言ってくれていたなんて。
胸にじんわりと温かいものが広がっていく。
「私も思ってたよ」
それまでずっと黙って聞いていたオーナーが急に口を開いた。
「しずくちゃんの声が店から聞こえてくると、それだけで元気になるんだ。しずくちゃんの笑顔がお客様をしあわせな気持ちにさせるんだよ」
店長の言葉が。
オーナーの言葉が。
夏生の言葉が。
胸に響いた。
それまで固く閉ざしていた扉から、少しだけ光がもれたような気がした。
「……少し考えさせてください」
私は店長とオーナーの顔を交互に見ながら、答えた。