うそつきハムスターの恋人
夏生に会ったらどんな顔をすればいいのだろうと考えながら、メイズの前に向かった。

にっこりしちゃうのはまずいだろう。
円満に別れたとしても、一応は別れた恋人同士なんだし。
どこで誰が見てるかわからない。
しかめっ面がいいだろうか。
それよりも、夏生の顔を見た瞬間、泣かないように気を付けなくちゃ。
夏生がびっくりする。

約束の七時よりも五分ほど早かったから、まだ夏生は来ていないだろうと油断していたら、メイズの前にはもう、寒そうに立っている夏生の姿があった。

両手をコートのポケットに入れ、マフラーに鼻までうずめて小刻みに足踏みをしている。

私が黙って近づくと、顔を上げて、「あ」と言った。
マフラーのせいで表情がはっきりと見えない。
私もマフラーをしてくればよかったな、と思った。
そしたら、泣きそうで嬉しそうで、それでいてしかめっ面というこの変な表情が半分隠せたのに。

「……お疲れ」

夏生がぼそっと言った。
久しぶりに聞いた声に胸がきゅっと苦しくなる。

「……お疲れ様です」

私もぼそっと返す。

「ええと……。どこで話す?」

夏生に聞かれて、私は会社から少し離れた場所にある、石でできた大きな球体のオブジェを指差した。

少し広くなっていて、立ち話をするのにちょうどいいと思った。

夏生は黙ってうなづくと、素直に私のあとをついてくる。

球体のオブジェは黒と白とグレーが混じった色でできていて、つるつるとしている。
私はその球体にそっと手のひらを当てる。
石の冷たさとなめらかな感触が気持ちよかった。

「……今日、奥田部長に呼ばれた」

夏生は少しだけ、眉を上に上げた。
そのひと言で、なにもかも察したようだった。

「私のことを、推薦したんだって?」

「うん。したよ」

「どうして?」

夏生は一瞬、何かを言いかけて口をつぐみ、考え込むような顔をしたあと、また口を開いた。

「……しずくならできると思ったから」

しずく。
夏生がまだ私のことをそう呼んでくれたことに、一瞬泣きそうになる。

もしかしたら、さっきできた間は私をなんて呼ぼうか迷っていたからなのかもしれない。

「本当にできると思ってるの?」

「思ってる」

夏生は即答した。

「どうして……? 私は一度断ったんだよ? 無理だって、できないって、やってもないのに逃げたんだよ?」

「なにをそんなに怖がってるんだよ。メイズで働いてた時、しずくすっごい楽しそうだった。接客が大好きなんだなって、見ててわかった。なのに、なんで自分に店長は無理だっていつも決めつけんの?」

夏生はまっすぐに私を見た。
心がざわざわする。
私は目をそらした。

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