うそつきハムスターの恋人
「あ」

急に加地くんが立ち止まった。

足元を見て歩いていた私は加地くんの背中にぶつかって顔を上げた。

「加地くん? どうしたの?」

「あれ……」

加地くんが指差した方向に顔を向ける。

夏生のマンション前の、曇りガラスのオブジェに、間接ライトの光が当たってぼんやりと明るい。
そのオブジェにもたれるようにして、タバコを吸っていたのはスーツ姿の夏生だった。

夏生、タバコ吸うんだ。
家には灰皿もないし、夏生が吸うなんて知らなかった。

夏生が顔を上げて、私と加地くんに気づいた。
タバコの火を消して大股でこちらに歩いてくる。

「こんな時間までなにしてた?」

加地くんの真正面に立つと、夏生は加地くんを睨み付けて言った。

「遅くなってすみません」

加地くんはにっこりと笑って謝った。
反省の気持ちがこれっぽっちも込められていないとわかる言い方で。

「なにしてた、って聞いてるんだけど」

「なぐさめてました」

夏生が目を開いて私を見た。
私は驚いて首を横に振る。
加地くん、なんでこんなこと言っちゃうんだろう。
こんな言い方をしたら誤解されてしまうのに。

「なぐさめてたって……どういうことだよ?」

「なんにもしてませんよ」

加地くんは意味ありげにふっと笑った。
夏生が眉にしわを寄せる。

「お前なぁ」

夏生が加地くんに今にも掴みかかりそうで、私は思わず夏生と加地くんの間に割り込んだ。

「ちょっと……やめて、夏生」

「なんで水嶋さん、そんなに怒るんですか?」

加地くんが夏生をまっすぐに見つめたまま口を開いた。

「なんでって。当たり前だろ。しずくは俺の彼女なんだから」

「だったら、彼女を泣かさないでください」

「……泣いてた? しずくが?」

夏生が私をじっと見つめた。
いつも自信に満ち溢れている瞳が今は揺れているように見えた。
そんな視線に耐えきれなくなって、思わず目をそらしてしまう。

「もしまた泣かしたら、今度は手加減しませんから」

加地くんは夏生に向かってきっぱりとそう言うと、次に私を見て微笑んだ。

「また、明日ね。お疲れ」

「……うん。また明日」

加地くんは最後にもう一度、夏生を見て、後輩らしい礼儀正しさでぺこりと頭を下げると、来た道を戻っていった。

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