うそつきハムスターの恋人
『撮影中』の赤いランプが消えて、レントゲン室のドアが開く。
出てきた夏生の顔を見て、私は思わず吹き出してしまった。
苦虫をかみつぶしたような顔、という表現にこれほどあてはまる表情を私は今まで見たことがなかった。

タクシーで向かったのは、怪我をした時にも来た会社の近くの総合病院だ。
整形外科外来は夏生と同じようにギプスをした人でいっぱいだった。

「じゃあ、診察室の前でお待ち下さいね」

放射線技師さんがそう言っても、ふてくされた顔をしたまま無言の夏生にかわって、私は「ありがとうございました」と頭を下げる。

「……いってぇ」

消毒液の匂いがする、ピカビカした廊下を歩きながら、夏生がぼやいた。

「レントゲン撮っただけなのに、そんなに痛かったの?」

「技師が不必要に何回も腕を動かしたんだよ」

「不必要ってことないでしょ? いろんな角度から撮らなきゃダメだから、動かすんじゃないの?」

「それにしても、ぐいぐいやりすぎだ。ちくしょー、いてぇ」

ふくれっつらで文句ばかり言う夏生はまるで子どもみたいで、なんだかかわいかった。

「いたいのいたいのとんでけー」

右肘をさすりながら、私がおまじないをかけると、夏生は恥ずかしそうに「やめてくれ」と言いながらようやく笑った。

「水嶋夏生さん。診察室にお入りください」

看護師さんに呼ばれて、夏生がソファから立ち上がる。
診察室前のソファに座ったまま、いってらっしゃい、と手を振ると、夏生が「しずくも一緒に聞けば?」と言って私の手をひいた。

「え? いいのかな。私が入っても」

「患者である俺がいいって言ってるんだからいいんだよ。経過が気になるから来たんだろ?」

「そうだけど」

夏生に手をひかれたまま、診察室に入ると中年の医者はシャウカステンに差し込んだ二枚のレントゲン写真を真剣に見つめているところだった。

「水嶋さん? はい、どうぞ」

医者は夏生を見ると、自分の目の前の丸い椅子をすすめて、もう一度レントゲン写真を見比べた。

私も、医者のうしろからレントゲン写真を見比べた。
一枚は怪我をした日に撮影したもので、一枚は今日撮影したもののようだ。
白い骨に黒い線が入っているのがわかる。
でも、私には二枚の写真はどちらも同じように見えた。
もしかして、全然よくなっていないのだろうか。
不安が募る。

「いいですね。ズレもないし順調ですよ」

しばらくレントゲン写真を見つめたあと、医者は私と夏生を交互に見ながら何度もうなづいた。

「ほ、本当ですか、先生」

思わず私は身を乗り出して聞いていた。

「私には全然変わってないように見えるんですが」

「ちゃんとよくなってきています。レントゲンを見てもまだわかりにくいけどね、仮骨(かこつ)って言ってね、新しい骨組織が少しずつ形成させてるんですよ」

ほらここらへん、とレントゲン写真をボールペンでつつきながら、医者は安心させるように笑う。

思わずよかったぁとつぶやくと、医者は私を見て言った。

「あとはね、バランスのいい食生活。たんぱく質とカルシウムをたくさん摂らせてね。あとはたっぷり休息すること」

私はわかりました、と張り切って返事をした。

ではまた一週間後に、と言われて診察室から出ようとすると、医者に「そうそう」とよびとめられた。

「骨の癒合をジャマするから、もしタバコ吸うなら治るまではやめさせてね、奥さん」

「え?」

私は振り返った。

医者はもうパソコンに向かって、文字を打ち込んでいる。

夏生が笑いをこらえながら「ほら出るぞ、奥さん」と私をうながした。



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