i wish i could FLY
日本人だと特定されない。
それはこの国に来て、この仕事をしている奈緒美にとってとても重要なことだった。
空の瓶をガラスで出来たローテーブルに置くと、奈緒美はその下の棚に入れておいたボディークリームを取り出す。
こちらの化粧品はどうにも肌に合わなくて、唯一これだけを日本から取り寄せている。
米も、大豆料理も、客に連れられて行ったエセ日本料理店で随分前に食べて以来ご無沙汰だった。
青い缶を開けて、中のものを手の上で暫く捏ねる。温まってとろりとしてから、それを肌の上に乗せる。
こうして手を身体中に滑らせていくのは、言って仕舞えばただのメンテナンスである。商品を傷がつかないように扱うのは、売り手として当然のことだ。
二の腕にクリームを伸ばしたところで、そこが変色していることに気がついた。
赤毛の髪に汗を浮かべている中年親父が脳裏をよぎる。
あのクソジジイめ。
使うのを避けていた日本語で毒づくと少しスッキリする。閨で使う言葉は覚えたものの、まだ悪態をつくことは出来なかった。
とにかく、こうされては明日の仕事に支障が出かねない。内出血をどうこうは出来ないのだと同僚は言っていた。結局コンシーラーで隠すしかないらしい。
朝の手間が増えた、とまた中年親父を罵りながら全身のメンテナンスを終えて、奈緒美はようやくほっと息をついた。
あとはシャワーを浴びて眠るだけ。
今日も特に変わり映えのない1日だった。
明日も、明後日も、この先ずっとそうであるといい、と奈緒美は眠る前にいつも、思うのだった。