才川夫妻の恋愛事情



……了解してしまった……!



もう頑張れない。六時までに仕事を仕上げるぞというさっきまでのやる気は急速に減退していく。野波さんは〝はい、お願いします!〟と緊張した面持ちで返事して自分のデスクに戻っていってしまった。

椅子を回転させる音がして、才川くんがこちらを向く気配。私は渋々顔を上げる。



「……そういうわけだから、花村さん」

「……はい?」

「聴こえてたと思うけど、今の。今晩は早めに野波さんと出るから」



……それは晩御飯いらないってこと?

何それ。そういう家用の連絡はLINEでくれればいいのに。



「はぁ、そうですか。……それ私に何か関係あります?」

「いや、だから、花村さんも帰れるなら今日は早めに帰ったらいいよって。……なんか怒ってる?」




まるで何もわからないって顔で才川くんは言う。
そのことにカチンときて、私はにっこり微笑んだ。



「いいえ、まったく。楽しんできてくださいね」

「……」



才川くんは何も言わずに〝あ、そう〟という顔をした。

今日は一人で贅沢してやるんだから。家の最寄りのレストランで一人で良い物食べて、帰りにコンビニに寄って自分の分だけダッツ買ってやる……!

そう決意すると心が幾分穏やかになって、私は自分のデスクへと向き直る。その時を見計らったように、才川くんが私のデスクに処理の必要な書類を置いた。あっ、仕事増えた! と思うと同時に、左から耳打ちされる。





〝お前起きてただろ、あの時〟





言われて左を見ると、才川くんはもうこちらを向いていなくて彼自身の仕事を片付けるべくメールの返信をしていた。そのことにまたムッとする。言うだけ言っておいて。



「……」



えぇ、起きてましたとも。



デスクに広がった書類に一つ一つ〝才川〟の印鑑を押しながら思いだす。

あのいまいちすっきりしない、資料室での出来事を。






*





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