才川夫妻の恋愛事情
暗闇の中で背中を抱きしめてきながら、彼女は黙っていた。



「……ん? なに、みつき。どうした」



ベッドを別々にして一定の距離を置いた。俺の引いたその線を、彼女が勝手に越えてきたことが大きな進歩だと思った。付き合った日の彼女ならきっと。〝大人の関係ですね〟なんて割り切ったように笑って見せた彼女なら、きっと。引かれた線を従順に守ってこっちには入ってこなかっただろう。

ベッドの中に潜り込んできた彼女に、確かな手応え。

どうして潜り込んできたのか。答えはわかっていたが、黙っている彼女に尋ねる。



「……なに。……寂しいの?」

「……」



強がりなのか、なんなのか。彼女は明確に〝寂しい〟とは言わなかった。

けれどこう言った。





「……結婚したのに、なんか遠いんですが」





「……そうだな」



返事をした声は、もしかしたら少し笑ってしまっていたかもしれない。可愛かったし、嬉しかった。だけど後ろを向いて抱きしめ返したらすべてが水の泡になる。伸ばしたくなった自分の指先をきゅっと我慢すれば、背中からは静かな寝息が聞こえてきた。

彼女は明らかに変わってきていた。少しずつ。じわじわと。もどかしいとか寂しいとかいう感情で、みつきが少しずつ自分に落ちていく。








その密かな陶酔感の一方で。








俺には一つ負い目があった。


それはこの結婚が、完全に自分の我儘で結ばれた契約だということ。
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