才川夫妻の恋愛事情
「そんなことで変にやっかまれるのも馬鹿らしいし」
「うん?」
「だから、会社では他人でいよう」
「……他人?」
「うん。結婚してるとかは誰にも言わないで、みつきも旧姓で仕事してさ」
あ、そう。……ふーん?
「わかった。そうするね」
その時の私はそれが実際にどういうことなのか、よくわからずに了承した。まぁそれで彼の仕事が不都合なく回るのなら、それがいいんだろうと思って。正直私はそれよりも、新居に運び込まれたベッドが二台なことが気になっていた。
「……才川くん?」
「ん?」
「ベッド、二台もいるかな?」
「え?」
「え?」
「いるだろ」
「いやぁ~、いらないんじゃないかなぁ……」
納得しない素振りで抵抗してみる。けど努力虚しく、才川くんは話題を変えた。
「〝才川くん〟じゃない」
「……」
「もうみつきも才川さんなんだから、ほら」
呼んでみ、と才川くんは荷解きを続けながら小さく笑って、待っている。
「……、」
私は〝い〟の口をしたり〝あ〟の口をしたりパクパクして、発音してみようとした。才川くんはたぶん私が言いやすいようにわざと視線を荷解きをする自分の手元に落としている。そこまでわかっていて、結局、言えなかった。
他のどんな恥ずかしいことをしたりされるよりも、名前を呼ぶことが一番恥ずかしいと思っていたし、今もそう思っている。
その後入社してから〝才川くん〟と呼ばなければいけない状況になって、ずっと私は、今も彼のことを名前で呼べないでいる。