冬に響くセレナーデ
透くんはいい人だ。それは間違いない。でも、なんでこんなに毎日が物足りなく感じるのだろう。

「奏美ちゃん、今日はもう遅いし、泊まってく?」

「そうね。」

私はなぜこの人と一緒にいるのだろう。私はいつか透くんを傷つけてしまいそうで怖かった。

「おいでー。」

「ごめんね、今日は気分じゃないの。」

「じゃあ、やっぱり帰る?」

「そうしようかな。」

「ダメ。帰さない。」

「え?」

「来て。」

私たちはキスをした。強引で、激しくて、優しさを伴わないキスを。

「奏美ちゃん、僕のことだけを見て。」

「うんー。」

私は偽善者だ。

「好きだよ。」

「うんー。」

誰かに愛されているのは心地がよいはずなのに、私は急速冷凍されたように固くなる。透くんは、私の心がここにないことを、きっと知っている。

「ねえ、するの、あんまり好きじゃないの?」

「え?そんなことないけど…。」

「じゃあ、僕のせいかな?」

「そうじゃないよ?」

彼はロマンチックな人ではない。きっと、普通の人なんだと思う。

抱かれる度に、私は凍りつく。決して透くんが嫌いだからではなく、なぜだか、悪いことをしている気分になったから。どうしてだかわからない。もうニコラスとは逢っていないのだから、罪悪感など感じる必要はないのに…。それでも、長い髪を梳かれるのは、繊細で壊れそうな手がいい。キスをされるのは、優しくて柔らかい唇がいい。漆黒の瞳で見つめられ、そっと愛を囁かれるのがいい。そう思うと、全身を委ねることができなかった。

透くんが無理やり入ってくる。私は目を閉じる。そして、想い出す。か細い腕の上で弾かれたトロイメライ。メルヘンの国で、一生見続ける夢を。


翌朝、私は早く起きた。グランドピアノの前に座りAの鍵盤にそっと触れる。一瞬であの日にタイムスリップした。あの部屋、あのピアノ、あの朝の光が懐かしい。たった1カ月いただけなのに、すべてが染み込んでいる。

朝食を食べていると、透くんがこう言った。

「そうだ、日曜空いてる?食事に行こうよ。」

「いいわね。何を食べる?」

「最近できたフランス料理のお店があるんだけど、そこはどうかな?」

「良さそうね。」

「じゃあ、予約しておくね。」


人と人を比べることは良いことじゃないとはわかっていた。それでも、私の彼氏の基準はニコラスになってしまっていた。人間性の問題もあるのかもしれない、国民性の違いかもしれないけれど、なんでこうなの?と思わずにはいられなかった。
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